【平成球界裏面史・松坂大輔家族編(1)】最高のフィナーレとなった第5回WBC。この試合を現地でテレビ解説した松坂大輔氏(42)が、平成18年(2006年)、平成21年(09年)のWBCで2大会連続MVPに輝いたのは記憶に新しい。

 そんな松坂氏が平成10年(98年)、甲子園春夏連覇からドラフト、西武入団と駆け抜けた日々は、まさにフィーバーの連続。現在の大谷翔平に勝るとも劣らない注目度で日本中のお茶の間をにぎわせた。

 好感度的にも大谷と共通しており、騒動の中でも松坂氏は取材に協力的。当時から人懐っこい笑顔で人柄も温厚だった。

 そうなってくると気になることがある。どうすればこんな素直に育つのか。実際、取材を通じて家族と接することにもなっていくのだが、これが見事なほどにいい両親なのだ。

 最初に松坂氏の家族に遭遇したのは父・諭さんだった。ドラフトでは意中のベイスターズではなく、西武が交渉権を獲得。その場合、進路は社会人野球と報道されていたため、プロ入りか否かで動向に注目が集まっていた。

 都内の自宅前には連日、スポーツ各紙の番記者らがいわゆる「張り込み」をしていた。仕事帰りの父・諭さんも取材のターゲットとなった。

「自宅ではどんな様子なのか」「本人とどんな話をしたのか」「プロか社会人、本心はどうなのか」などなど、質問攻めにしてしまった記憶が残っている。そんな状況でも嫌な顔をせず世間話にも応じてくれた諭さんが印象的だった。

西武との交渉を終えた松坂氏(左)、由美子さん(中)、諭さん(1998年12月)
西武との交渉を終えた松坂氏(左)、由美子さん(中)、諭さん(1998年12月)

「皆さんも大変だね。こんなふうに取材ってするんだねえ。初めてみたよ。これ聞いて、どんな話を記事にするの?」

 連日連夜、顔を合わせるうちに何となく打ち解けた雰囲気にもなった。ある時は「みんなは大輔が西武に行くか社会人に行くか、どっちの方がいいと思ってます?」などと逆取材される機会もあった。

 そしてある日、諭さんが口にした。

「僕はもう本人の中で心は決まってると思ってるんだけどね。プロに行きたいんだと思うよ。だったら行けばいいのに」と。

 ネタに飢えた取材陣の前での重大発言。諭さんが「俺、余計なこと言っちゃった?」と慌ててももう遅い。翌日のスポーツ各紙の見出しはこうなった。

「松坂、父激白『大輔はプロ』」

 お父さんがマスコミの洗礼を受けてしまう事態。翌日の紙面を見て怒るだろうと覚悟はしていた。だが、仕事帰りに取材に応じてくれた時、照れ笑いとともに出てきた言葉は意外だった。

「皆さん、もう勘弁してよ。嫁さんにも大輔にもめちゃくちゃ怒られたよ。なに余計なことしゃべってんだよって。みんなして記事を書くからさあ」

 世間も注目する平成の怪物の動向だ。大人の事情も絡むだけに家族の発言は重い。とはいえ、実の父からすればシンプルに息子の進路の問題だ。他人にとやかく言われる筋合いもない。「プロに行きたいと思う」と堂々と発言した無邪気さがかえって新鮮だった。

 プロ入り後にも松坂氏の家族との交流が続くのだが、この諭さんの父がただ者ではなかった。つまり大輔氏の祖父にあたるのだが、次回で明かすそのエピソードはヤバかった――。