【女子プロレス最強レスラーの告白 神取忍 お前の心を折ってやる(13)】1986年8月に旗揚げ戦に臨んだジャパン女子プロレスは、10月に大阪で試合を行った。8月と同じくメインでジャッキー佐藤さんと対戦。デビュー戦でいい評価こそ受けたけど、大きな試合のたび、このカードがメインになるようになった。柔道は年に試合が数回だし相手も違うから新鮮だったけど、毎回同じ試合では飽きてしまうと思っていた。

 このころから「対抗戦をやりゃいいじゃん」って、会社に言っていたんだ。全日本女子プロレスにはダンプ松本やクラッシュギャルズがいる。団体が2つあるんだからさ。同年12月、UWA世界女子王座で王者のローラ・ゴンザレスに勝ち、初めて世界王者になった。試合後には「うちにもう敵はいない。全日本女子の選手とも戦ってみたい」と発言した。

 でも会社の人間は誰も真剣に聞いてくれなかった。そりゃそうだよね。「自分の団体、守ろうぜ」って話だもん。しかも全女の選手からは例の「10秒で倒す」発言ですっかり嫌われていて「絶対試合はしない」と言われていた。なんだか八方ふさがりだった。

 団体の方も経営に問題が出始めていた。旗揚げからわずか4か月で社長が退任。その後もトップが何度も代わった。不安定な中でなんとか87年の正月興行を迎えたんだけど、その試合中に右目をケガしてしまったんだ。プロレスは過激なスポーツだから、選手たちは目や脊髄といった後遺症が出る場所は絶対に狙わないし、傷つけないように気をつける。だから、目をケガしたということは大変なことだった。

 とても試合はできないから「首から上は危険だから試合はやりたくない」と申し出た。でもフロントに「ケガだけど、プロとしての責任を果たせ」「カードが決まっているから試合に無理にでも出場しろ」と押し切られて、試合に出させられた。そうこうしているうちに右目は視神経を傷つけるところまで悪化した。

 会社への不満が爆発した。会社の利益のために出場したのに治療費も出ない。他の選手も、少年少女の憧れのプロレスがこれでいいのかって。でも、団体の人には「小娘が何言うとんじゃ」って関西弁でまくしたてられてね。我慢できず「納得のいく返事をもらうまで試合には出ない。フリーにしてくれ!」と言って、出ていった。

 マスコミには「神取ボイコット」「生意気だ」と書かれた。周囲は全部敵のような気がして不信感を抱いた。ここからは団体と堂々巡りだよ。向こうは契約を交わしていると主張する。結局「目の治療費は出すから出てくれ」と言われて、渋々試合に出たのだけど、この復帰をよく思わない選手が一人いた。