【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(54)】椎間板ヘルニアと闘いながらリングに上がり続けてきたが、2015年9月3日に「脊柱管狭窄症」で手術を受けた。1989年に長期欠場して以後、はり治療でケアを続けてきたが、とうとう限界を迎えてメスを入れることになった。
この影響でドラディションが予定していた10月初旬の殿堂入り記念シリーズを欠場し、武藤敬司が社長を務める「WRESTLE―1」の10月31日後楽園大会で復帰した。医者からは術後3~4か月は「様子を見てほしい」と言われていたけど、武藤に「立っているだけでいいから」と頼み込まれて…。他人に迷惑をかけたくない俺の性格を、彼もよく知ってるからね。いざリングに上がると自然とドラゴンスクリューができたんだから、これがレスラーのさがというものなんだろう。
その後もいろいろなリングに上がり、古巣の新日本プロレスに戻ったのは20年1月4日東京ドーム大会だった。06年に退社し、08年1月の東京ドーム出場を最後に新日本とは距離が生まれていたので、12年ぶりの参戦は特別な感慨があった。引退する獣神サンダー・ライガーがタッグを希望してくれたことで実現したもので、新日本とライガーに礼儀と敬意を示すために、試合が決まってからは食事管理と専属トレーナーの指導で体をシェイプアップして臨んだ。
ライガーは小柄だけど根性がすごい。練習でも目つきが違った。最後に8人タッグ戦で組んだ時も俺より先に引退するのが「何で?」って思うくらいのコンディションをキープしていた。現役最後に、俺を新日本に呼び戻してくれたことは、本当に感謝している。
そして2年後の22年に新日本は旗揚げ50周年を迎える。3月1日の「旗揚げ記念日」(日本武道館)では坂口征二さんがリングに呼び込む形でOBが一堂に集結した。長州力、前田日明を筆頭に、俺をこの世界に入れてくれた北沢幹之さんの姿もあった。自分も旗揚げメンバーとして、心にグッとくるものがあった。
俺を含め多くの人間が外に飛び出したけど、帰ってくる者は拒まずで受け入れる土壌が新日本にはある。やっぱりみんな新日本が好きで、何かあってもまた戻ってくる、不思議な団体だよね。
俺はこの大会のメインで棚橋弘至、オカダ・カズチカと組んでザック・セイバーJr.、鈴木みのる、藤原喜明と戦った。ついていくのに必死だったよ(苦笑)。今の選手たちは今の選手たちで、自分たちのプロレスを新日本のリングでやっているんだと肌を通して分かってうれしかった。
しかし、この会場に本来なら一番いなくてはならないはずの団体創始者アントニオ猪木さんの姿はなかった。猪木さんは闘病中で、別れの時が近づいていたんだ――。













