【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(53)】米国から予想もしていなかった吉報が入ったのは2015年3月19日(日本時間20日)だった。世界最大団体のWWEが「ホール・オブ・フェーム」に俺を迎え入れることを発表した。日本人レスラーとしてはアントニオ猪木さんに続く2人目の殿堂入りは、特別な栄誉となった。

 猪木さんが10年に殿堂入りを果たした際に「やっぱりすごいな」と思っていたけど、自分のことになると「まさか」という感覚だよね。俺よりも息子のLEONAの方が早くニュースを知っていて、一番喜んでくれていた。

 表彰式は3月28日(同29日)にカリフォルニア州サンノゼのSAPセンター・アット・サンノゼで行われ、家族と一緒に現地入りした。前の晩に妻とLEONAからスピーチの講義を受けて、もっとちゃんと英語を勉強しておけば良かったと後悔してね…。日本語で作った原稿をWWEが英訳してくれたんだけど、ものすごく長いから「そんなにしゃべれない」ってカットに次ぐカットで短くしてもらった。

 猪木さんのニュースで表彰式の写真なんかを見てはいたんだけど、実際に行ってみたら身震いするくらいのスケール感で2万~3万人の会場が超満員になっていて背筋がゾクゾクした。壇上から見た景色は本当に格別でインダクターのリック・フレアーも「IWGPとNWAの両王座に就いた日本で最高のレスラー」と紹介してくれた。今思い出しても最高の空間だったし、俺はスピーチも精一杯やったつもりだけど、妻は顔を覆っていた気がする(笑い)。

 表彰式の前の晩、ビッグバン・ベイダーがデンバーからホテルの部屋まで駆け付けてくれたのもいい思い出になっている。彼も自分のことのように喜んでくれて、うれしかった。

 ベイダーとは17年4月にデビュー45周年記念大会で試合をすることもできた。だが、彼は長く健康問題を抱えていて、18年6月に63歳の若さで亡くなってしまった。アメリカンフットボールの世界で活躍した男だから最初からパワーはものすごかった。俺は猪木さんの試合を見てどんどんプロレスの技術も吸収していたんだけど、彼は日本人的な気質を持っていて、周りの人間へのリスペクトを欠かさず、受けた恩義は決して忘れない男だった。

 殿堂入りの話に戻ると、今のWWEでは元新日本プロレスの中邑真輔をはじめ多くの日本選手が活躍している。彼らが世界のひのき舞台で活躍してくれているのは見ていて素直にうれしい。俺の後にも獣神サンダー・ライガー、グレート・ムタ、ブル中野が殿堂入りを果たしたけど、今活躍している日本選手たちにも後に続いてほしいと心から思っている。