【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(52)】退団した西村修が商標を持っていた関係もあり「無我ワールドプロレスリング」は2007年12月13日の後楽園ホール大会を最後に活動を停止し、08年から団体名を「ドラディション」に変えて再スタートした。

猪木さんの「ダーッ!」で締めくくった(12年4月)
猪木さんの「ダーッ!」で締めくくった(12年4月)

 ドラディションで忘れられない大会が、12年4月20日に開催したデビュー40周年ファイナル記念大会だ。俺はメインイベントで長州力、初代タイガーマスク(佐山聡)と組んで蝶野正洋、ヒロ斎藤、AKIRAと対戦した。ドラゴンスリーパーでAKIRAから勝利を収め、試合後のセレモニーにはアントニオ猪木さんと前田日明も来場してくれた。

 俺はいつも大会が終わった際に、ファンが思い出として写真のように記憶に焼き付くような光景を想像する。そんな時に猪木さんが真ん中にいてくれたら…という思いから、猪木さんにも声をかけさせてもらった。前田も長州や佐山とはいろいろあったけど、選手って一度会ってしまえば肩に手を回し合えたりするんだよね。縁結びじゃないんだけど、個人的に呼ぶことで最高の絵がつくれたと思う。

 最後は猪木さんの「1、2、3、ダーッ!」で締まって、最高の気分でリングを下りようとしたその時だった。当時19歳で大学生だった長男の怜於南がリングサイドに駆け付けて、マイクでプロレスラーになりたいと直訴してきた。大会が無事に終わってホッとした後だっただけに、俺は頭が真っ白になった。

 思わず妻を探して目が泳いでいた(笑い)。ずっとゴルフをやってきたから、その方に進むのかと思っていたけど無理もない話かもしれない。物心がついた時から周りにプロレスラーがいて、プロレスを見てきたわけだから。後で聞いたら妻には中学校卒業時に、その夢を打ち明けていたみたいで、2人は俺のいないところで何度も話し合いをしていたらしい。

 俺も口では「ダメだ!」と反対しながらも、複雑な気持ちもあった。息子に夢があって、自分の仕事を尊敬してくれることは内心うれしかった。しかもお客さんのいるリングの上で直訴された時点で、もう逃げ場のない“既成事実”をつくられてしまってる。彼の人生に悔いも残してほしくないし、最終的にはレスラーになることを認めた。

 息子は自分のバイト代をためて、英国のビリー・ライレージムに渡って修行を積み「LEONA」のリングネームで13年11月19日後楽園ホール大会の船木誠勝戦でデビューした。現在もレスラーとして試合をしながら俺のマネジメントや「藤波家の食卓」で飲食業の仕事もこなしている。

 すべてにやりがいを持ってくれているし、自分なりのプロレスを大事にしながらたくさんの経験を積んでほしいと思う。