【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(48)】猪木さんは新日本プロレスを変えるための荒療治として一連の行動を取っていたのかなとも思う。しかし格闘技の試合に出場した多くのレスラーたちは敗北を喫し、新日本のリングでも格闘技色の強い試合が増えるなど、周囲からは迷走しているように見られただろう。団体内でもいろいろな意見が飛び交っていた。

全日本入りした(右から)武藤、小島聡、馬場元子さん、ケンドー・カシン、カズ・ハヤシ(02年2月)
全日本入りした(右から)武藤、小島聡、馬場元子さん、ケンドー・カシン、カズ・ハヤシ(02年2月)

 K―1やPRIDEも新日本と絡むことで自分たちの存在感を印象付けた。それが必要だったんだろうし、ある意味では猪木さんが加勢したような形になっていた。俺も帝拳ジムでボクシングの練習をして分かったけど、その道にはその道のプロがいる。本当なら新日本は新日本なりの最強路線を行けばよかった。

 もちろん格闘技のリングに上がった藤田和之、ケンドー・カシン、永田裕志、中西学、中邑真輔らの挑戦は誇りに思っている。彼らは彼らでオーナーから言われて、自分の力を試してみたくもなるだろうしね。

 社長の俺は板挟みの立場だから、当時は出社するのも気が重かったね…。現場からは突き上げが来るんだけど、猪木さんは猪木さんで自分の居場所を探していたんだと思う。本来ならオーナーとしてドーンと座っていればいいはずが、猪木さんは周りからの期待もあるから常に存在感を出していないといけない。猪木さんのひと言、ひと言でファンは騒ぐ。マスコミも派手な動きを書かざるを得ない。結果的に新日本プロレスは大きなダメージを受けていった。

 そんな中で心ここにあらずとなって、新日本を離れたのが武藤敬司だった。02年1月に退団すると、01年から新日本と並行して参戦していた全日本プロレスに移籍。小島聡、カシンも追随し、数人のスタッフも全日本へ移っていったことで団体は激震に見舞われた。

 格闘技路線に興味のない武藤は当時の新日本に悶々としたままいるよりも社長になれる全日本という道を選んだ。仲人を務めた坂口征二さんには事前に報告を入れていたかもしれないけど、俺は武藤からは何も聞かされていなかった。

 でも仮に話を聞いていたとしても、引き留めるすべはなかったと思う。90年にSWSが選手を引き抜いていた時には、坂口さんも俺も引き留め工作で選手を個人的に呼んでメシに行ったりいろいろやったけど、この時にはもうそんなムードはなかった。当時の新日本は、それだけ危機的状況だったということだろうね。