【炎の飛龍 藤波辰爾の軌跡 一心己道(46)】新日本プロレスから解雇処分を受けた橋本真也だったが、わずか1か月半後の2001年1月4日東京ドーム大会に参戦し長州力とのシングル戦が組まれた。橋本はかねて長州のマッチメークを批判するなど犬猿の仲として知られていた。解雇した選手がすぐに東京ドームに出場することに疑問を抱いたファンもいただろうが、自然発生的なハプニングをリング上に持ち込むことは新日本の歴史的に見ても珍しいことではない。

 とはいえ、試合が成立するのかどうか、嫌な予感はあった。橋本はすでに自分の団体をつくって、新日本の中に目標はない状態。実際に試合が始まると、長州と目も合わせようとしないし、心ここにあらずというのが見てわかった。現場を仕切ってきた長州も体調や精神的なものも含めてしんどさがあったと思う。意地の張り合いのような展開になって、お互いにフォールにいかない妙な空間になっていた。

 テレビの放送席で見ていた俺はこのまま2人をやらせてはいられないと、リングに上がって試合を止めた。これが世にいう「ドラゴンストップ」だね。あの時はライバルである長州のああいう試合を見ていられない、お客さんに見せたくないという思いがあった。お互いやりにくさがあったと思うし、俺が止めて一番ホッとしたのはあの2人なんじゃないかなという思いもある。

 思わぬ結末に会場からは大ブーイングが起きた。申し訳なさもあったけど、これはもう俺一人が悪者になって浴びればいいと思った。この時にマイクで「我々は殺し合いをしてるんじゃない」と少しオーバーな発言をお笑いタレントのユリオカ超特Qがよくモノマネするんだけど、興奮して言葉になっていないものをよく解読したなと思うよ(苦笑)。興奮すると口が回らなくなるんだよね。でもあそこはゆっくり落ち着いて話せる場面でもないしね…。とにかく早くあの場を収めたい一心だった。

 とはいっても、長州と橋本が身も心も傷ついて終わってしまうと、お客さんも含めて全員にとって残酷な結果になる。誰かが幕を引いてあげないといけない。ドラゴンストップが“珍事件”として語り継がれて、俺にスポットライトが当たり続けるのであれば、それはそれでいいのかなと今となっては思える。

 橋本はこの年の3月に「ZERO―ONE」を旗揚げし独立した。それ以降は接点がなくなって、05年7月に40歳の若さで亡くなってしまった。あまりにも早すぎた。なぜもっと時間をかけて彼自身が活躍できる道を探れなかったのか。なぜそんなに生き急いでしまったのかという残念な思いはある。橋本は一番“新日本プロレス魂”を持った男だった。