【プロレス蔵出し写真館】今から23年前の2002年(平成14年)6月15日、全日本プロレスの天龍源一郎が米ハワイ・ホノルルのブレイズデル・センターで行われたWWEを視察した。
馬場元子社長を伴って会場を訪れた天龍はドレッシングルームへ直行。かつて全日の常連外国人レスラーでWWEの幹部のひとりとなっていたジョニー・エース、スーパースターのザ・ロックと写真に納まった(写真)。
ロックはこの年、3月1日に横浜アリーナで開催されたWWF(5月5日以後、WWE)の日本公演に初来日。興行を控えた2月28日には、映画俳優として主演映画「スコーピオン・キング」のPR会見も行っていた。日本でも〝ロック狂騒曲〟が吹き荒れていた。
今や映画俳優のドウェイン・ジョンソンとしてさんぜんと輝いているのは、誰もが知るところ。
天龍がWWEを視察したのは、この年で社長勇退を決めていた元子さんに力を見せつける必要があったからと言われる。新日本プロレスから移籍してきた武藤敬司と元子さんの蜜月ムードが充満しており、次期社長=武藤という説が確実視されていた。移籍からわずか5か月の〝外様〟に社長の座を奪われては…と元子社長の〝懐柔作戦〟に打って出たのだった。
ところで、天龍が約10年ぶりに全日復帰を果たしたのは00年7月2日の後楽園大会。元子さんが「川田さんと握手してほしい人がいます。天龍源一郎選手です」と言い、天龍のテーマ曲「サンダーストーム」が鳴り響くと、会場は割れんばかりの大歓声に包まれた。三沢光晴らが大量離脱して窮地に陥った古巣を天龍が救ったと言ってもいい。
そんな天龍が東スポの単独取材に答えて全日離脱を明かしたのは03年の5月1日。かつて阿修羅原と「天龍革命」のノロシを上げた名古屋だった。
天龍は「今、初めて話すことだが、4月25日に全日本の代表の方と今後について話し合いを持った。全日本に戻ってから今年で3年たった。それ(契約切れ)は全日本も知っていたと思うが、その後どうするかという話が遅々として進まない。それでどうしますかという話をしたときに、契約を更新しないということになった」と記者を驚かせ、「オレの中ではオレのやるべき仕事はすべてやったと思ってる。元子さんから武藤にタッチした時点でね、元子さんを送り出せてオレの役目は終わりだよ」と語った。
「だから元子さんには感謝している。北原(光騎)や折原(昌夫)、それにオレを含めて馬場さんに粗相した奴らをまとめて上げてくれてね。消化しなきゃいけない試合が2試合あるんだけど、それが終わればフリーだね」。天龍は晴れやかな笑顔を見せた。
取材した記者は「元子さんに『社長やらせろ』的な仕掛けをかなりしていた。多分、本人はなりたかったと思う。元子さんが武藤さんに譲って武藤体制になったことで、多分、居づらくなったのと、〝やってられるか!〟と思ったのでは」と語る。
先日26日、天龍率いる天龍プロジェクトは新木場1st RING大会で興行を開催。リングに上がった天龍はファンにメッセージを送り「エイエイオー!」3連発で締め、元気な姿を見せた。
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