【昭和~平成スター列伝】ノアの創設者・故三沢光晴さん(享年46)が2009年6月13日広島大会の試合中の事故で亡くなってから今年で16年。
以前にも書いたが記者は三沢と死の4日前、静岡・沼津大会で交わした最後の会話を「三沢の遺言」として1面記事を書いた。三沢の疲弊は極限に達しており「もうやめたい。体がシンドイ。いつまでやらなきゃならないのかという気持ちが出てきた」と心の底から絞り出すように語った。
「少し休めば」という問いには「それはできない。1度休んだら気持ちが切れてしまう。潮崎とか若い選手を育てなくちゃならないし、若いのが出てきてくれれば俺的には悔しいとは思わないし、その上でやめられればね」と吐露した。
記者は「三沢引退決意」の記事を用意していたのだが、それはかなわず4日後に帰らぬ人となった。現場は悲しみと大混乱に陥り、カード変更も余儀なくされた。翌日に博多スターレーンで予定されていた秋山準対力皇猛のGHCヘビー級王座戦も、秋山が負傷のため王座を返上。決定戦出場に抜てきされたのが、三沢が亡くなった試合のパートナーだった潮崎豪だった。本紙は三沢の死と同大会の模様を1面から4面までで報じた。
「全力ファイトを信条とした三沢さんの遺志を継ぎ、大会は予定通り決行された。悲報から24時間もたっていない。献花台には乗り切らない花や似顔絵が手向けられた。泣き崩れるファンも多かった。試合前には追悼のテンカウントゴングが鳴らされ、全選手が沈痛な表情でリングを取り囲んだ。衝撃は続いた。メーンに予定されていたGHCヘビー級選手権は王者・秋山が椎間板ヘルニアを悪化させて欠場。王座を返上した秋山は『自分のふがいなさで申し訳ありません…』と言葉を詰まらせ謝罪。それでも天国から三沢さんが見守っている。メーンでは秋山の指名を受けた潮崎が力皇との決定戦に出場。激闘の末に初のベルトを手にした。三沢さんの魂は急成長した潮崎に確かに受け継がれた。若武者は『ベルトを取ったからにはいろんなことをもっとよくしていきたい。社長にも見てもらいたい』と声を絞るのが精一杯だった」(抜粋)
潮崎はデビュー5年目の初戴冠。最後のパートナー・三沢の思いを実現させたことになる。その後、16年の間にノアは選手の離脱や復帰を繰り返し、現在は史上最年少のOZAWAがGHCヘビー級王者となり、会場には全盛期の熱気が戻ってきている。若い世代を育てたいという三沢の遺志は、自らが育てた丸藤正道、杉浦貴、KENTA、潮崎らに継承されてOZAWAら新しい世代の成長を促したのだ。ノアは今年で旗揚げ25周年を迎えるが、偉大なる創設者の魂はこれからも継承されていくはずだ。 (敬称略)













