「さあ、おはよう。今日もいい練習をしよう!」
巨人の監督に復帰した1993年2月、長嶋さんは毎朝ミーティングでそう呼びかけていた。「さあ」の次に「おはよう」という言い方がおかしく、当時は選手たちがよく物まねしていたものである。
おしゃれな長嶋さんは常にジャージではなくジャケット姿。選手たちに見つめられて照れくさかったのか、話しながら襟元を直したり、袖口のボタンをいじったりしていた。
就任当初は選手の名前や状態を覚えるのに時間がかかった。キャンプ中、宿舎で太腿を痛めた岡崎に「きみ、ヒジは大丈夫か」。肩をケガした川相に「きみのヒザはどうだ」。エース斎藤ですら、初対面で長嶋さんに「斎藤」と名前を呼んでもらった時は「ああ、よかった。俺の名前を知っててくれて」と思ったそうだ。
そんなとぼけたところのある長嶋さんも、選手の指導には非常に厳しかった。第1次監督時代、遠征先で西本、角のふがいない投球で負けた試合後、宿舎の監督室に2人を呼びつけると「なんで逃げるんだ! 勝負しないんだ! 命まで取られるわけじゃないだろう!」と怒鳴りながらげんこつで20発ほど殴ったという。
後楽園球場の監督室に張本を呼び、床に正座をさせて説教したことまである。原因はスクイズのサインの見落とし(あるいは無視だったか?)。
「何考えてるんだ! ベンチのサインは絶対だ!」
叱責の最中、張本は悔しさのあまり、長嶋の目をにらみつけた。すると、長嶋も張本をにらみ返して、最後は張本のほうから目をそらしたそうだ。第2次監督時代はさすがに正座や拳骨はなかったが、やはり怒ると手がつけられなかった。
何度も試合後に呼びつけられていたのは捕手の村田である。本塁打された投球について「なんで外なんだ! 内角を突けよ!」と激しく怒られたという。もっとも、村田本人によれば、相手打者に打たれたのは内角球。翌日、それに気づいた長嶋さんは「何だ、ちゃんと内角に投げてるじゃないか。なんでそう言わなかったんだ」。村田にすれば、あまりにものすごいけんまくに、とても言い返せる雰囲気ではなかったのだ。
第1次監督時代、20発殴られた角も、怒られた試合では四球を1個しか出していない。「ただ、たとえ1個でも逃げたなと思うと、もう許せなかったんだ、ミスターは」と後に角は語っている。
そうした長嶋さんの愛のムチによって、彼らは立派な主力選手へと成長した。彼らに対する怒りとげんこつは、親心と情熱のたまものでもあったのだ。(敬称略)












