【プロレス蔵出し写真館】4月27日(両国国技館)の「ルチャフェススペシャル」で復活した2代目ハヤブサは、おおむねかつてのハヤブサファンに好評だったようだ。

 江崎英治の初代ハヤブサは1994年(平成6年)4月16日、両国で開催された新日本プロレス「スーパーJカップトーナメント」1回戦に初見参。獣神サンダー・ライガーを相手にインパクトを残す試合をしてファンだけでなく関係者にも衝撃を与えた。

 2代目も対戦相手の田中将斗に同じようなムーブを披露し、最後はファイヤーバードスプラッシュで3カウントを奪った。今後はビッグマッチ限定の出場になるのか、気になるところだ。

 さて、初代ハヤブサはライガー戦を終えるとメキシコへとんぼ返り。翌95年、5月5日に川崎球場で行われる師匠の〝邪道〟大仁田厚の引退試合を見届けるため、帰国を果たす。

 大仁田の相手は当初、ターザン後藤に決まっていたが、後藤はミスター雁之助&市原昭仁とFMWを離脱してしまう。理由は「墓場まで持っていく」として語らなかったが、大仁田個人との感情的問題と強調した。

 大仁田は「オレの相手を全インディペンデントのレスラーに呼びかける」と宣言した。

 これに反応したのは東京プロレスの石川敬士だった。4月27日のFMW埼玉・八潮大会にアポロ菅原、川畑輝鎮、ダンク・タニ、伊藤好郎、三宅綾を従えて来場した石川は試合後、リングに上がり「大仁田!5月5日、オレが引退させてやるぞ! 明日、返事を待ってるからな!」。そうマイクで対戦をアピールした。

 翌28日、ユニオンプロレスの千葉・流山大会に出場する石川を大仁田が訪ねた。石川は「土足でリングに上がった非礼は詫びる」と大仁田に謝罪してガッチリ握手をかわした。大仁田は石川と引退試合を決意。30日に東京・五反田で調印式が行われた。

 大仁田が調印書に名前を書き込み、石川もペンを握って書き始めようとしたそのとき、「ちょっと待ってください」。大きな声が響いた。声の主はハヤブサだった。

 ハヤブサは大仁田と石川が座ったテーブルの前に座り込み、ヒザをついて頭を床に押しつけ土下座すると、「僕にやらせてください。失礼なのはわかってます。僕が(FMWを)引っ張っていかなきゃ仕方ないんです。最後に他団体の人とやるのは納得できないんです。最後にFMWの魂を知りたい。こういう行動に出たのを分かってください」と涙をこぼし、2人に懇願した(写真)。

 それを見ていた石川は持っていたペンを置くと、「大仁田、いい弟子を持ったな」とひと言残して席を立った。大仁田は涙目で去って行く石川を見つめた。引退試合が師弟対決に決定した瞬間だ(石川ら東プロ勢は川崎大会には出場した)。

 さて、引退試合は大仁田が保持する世界ブラスナックル王座が賭けられた「ノーロープ有刺鉄線金網電流地雷爆破時限爆弾デスマッチ」で行われ、大仁田がハヤブサにサンダーファイヤー3連発を決め、有終の美を飾った。

 ハヤブサは担架で控室へ運ばれると、声をかけてきた大仁田に「絶対FMWは潰しません」と約束。大仁田はハヤブサを叱咤激励し、報道陣に「カムバックは二度とありません」と断言して(※このときは)、病院へ向かった。

試合後、涙顔でハヤブサ(下)を叱咤激励する大仁田(1995年5月、川崎球場)
試合後、涙顔でハヤブサ(下)を叱咤激励する大仁田(1995年5月、川崎球場)

 ところで、ハヤブサの新FMWは5月17日の埼玉・深谷大会からスタートした。IWAジャパンにフリー参戦していた後藤は「ハヤブサには頑張ってほしい。俺たちが真FMWを名乗っているのも、そういう意味を含んだもの」とエールを送った。

 ハヤブサは翌6月6日には東京プロレス松山・愛媛県民館大会に登場して、石川とタッグを結成した。石川への返礼だ。試合後、石川は「素晴らしい。あれだけやれる選手はいないんじゃないの。(大仁田との)調印式に出てきただけのことはある」とハヤブサを絶賛した。

 石川とともに八潮大会のリングに上がったアポロ菅原は、「呼ばれたから行った」と明かし、「川崎ではオレ、松永(光弘)とやったんだよな。最近、松永と会ってそんな話になった。(会見?)それは見てないけど、石川さんは(ああいう)性格だから、淡々とやっただろうけど。(結局)大仁田のダシに使われたんだろうな」と分析した。

 ハヤブサは負傷や事故で、活躍した期間は短い。それでも、決して記憶は色あせない特別なレスラーだった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る