【プロレス蔵出し写真館】〝不死鳥〟ハヤブサが、4月27日に両国国技館で開催されるメキシコ観光主催「LUCHA FIESTA ESPECIAL(ルチャフェス・スペシャル)」で復活する。

 対戦するプロレスリングZERO1の田中将斗は「ただハヤブサになりましたじゃ、僕もお客さんも納得しない」と厳しい言葉を投げかけたが、それだけ〝元祖〟はハイレベルだった。

 ハヤブサが日本に初登場したのは、今から30年前の1994年(平成6年)4月16日、両国で行われた新日本プロレス「スーパーJカップトーナメント」。各団体を代表するジュニア戦士が集結した。

 ハヤブサは1回戦で優勝候補の獣神サンダー・ライガーと対戦。ゴングが鳴る前に、コスチューム姿のままドロップキック、ローリングソバットを見舞ってライガーを場外に落とすと、ロープに飛んで助走をつけると、高々と舞ってトペコンヒーロを敢行した(写真)。

 さらにライガーをリングに押し入れると、コーナー最上段に飛び乗り、背後からミサイルキックを発射。ライガーは前方に吹っ飛んだ。館内のボルテージは最高潮に達した。

 その後は一進一退の攻防が続き、ライガーのパワーボム、雪崩式ブレーンバスターを返すとムーンサルトプレス、シューティングスタープレスで反撃。最後はライガーボム、フィッシャーマンズバスターを食らってフォール負けを喫したものの、強烈なインパクトを残した。

 ライガーは「ぜひスーパージュニアに出てほしい。こんなに素晴らしいとは思わなかった。手放しで彼を褒めたいよ」と絶賛。ハヤブサは「完敗です。技の重さが違った。やり直しです。まだ自分は未完成で未熟だった」と反省を口にし、メキシコへ再修行に飛び立った。

 Jカップ出場は、大仁田厚が「ハヤブサを1回戦でライガー選手に当ててくれるなら」という条件で参戦させたことが後年、明らかになったが見事、大仁田の思惑通り、この一戦でハヤブサはファンの心をつかみ知名度がアップした。

 メキシコから米フロリダ地区へ転戦してからは、FMW常連外国人レスラー、ホーレス・ボウダーの指導を受けて肉体改造に着手。ヘビー級の体を手に入れた。ローカル団体にも出場してFWAライトヘビー級、PCWFヘビー級、フロリダヘビー級王座を奪取した。

 95年に帰国してから、5月5日の川崎球場で行われた大仁田の引退試合(※2度目)の相手を務め、試合には敗れたが、大仁田の後継者として認知されFMWをけん引する。

 飛び技の弊害でヒザとヒジに負担がかかり過ぎ、一度は素顔に戻りH(エイチ)としてファイトしていたが、ハヤブサ待望論の声に、再びマスクをかぶった。

 さて、ハヤブサが悲劇に見舞われたのは2001年(平成13年)10月22日の後楽園大会だった。対マンモス佐々木戦で、セカンドロープから月面水爆を放とうとして足が滑り後頭部から落下。そのままピクリとも動かなくなった。

 わずかに意識を取り戻すとマイクを要求して「みんなごめんなさい。オレが命をかけたFMWを見捨てないでください」と気丈に言い残し、救急車で搬送された。診断は頸椎損傷。全身不随となる重傷を負ったのだった。

 車イスでの生活を余儀なくされるも、懸命なリハビリにより、自力で立ち上がり、補助付きで歩けるまで回復。多彩な才能を生かしシンガー・ソングライターや、06年からは舞台俳優として活動しながら、リングに立つ意欲を見せていた。

 ハヤブサはX(旧ツイッター)で「オレは〝夢を見る〟という力を信じている。もし夢を見ていなければ、オレはとうに諦めてしまってるだろうし、そもそもプロレスラーにだってなれてなかっただろう(抜粋)」とツイートしている。

 そんなハヤブサこと江崎英治は16年(平成28年)に、突然、逝ってしまった。3月1日にXで「3月スタート!さあ、今月も楽しんでいきましょう!」と投稿してから2日後、自宅のベッドで死亡している状態で発見された。死因はクモ膜下出血だった(享年47)。

 江崎を若手のころから取材していたが、親しく口を利くようになったのはFMWでエースになってから。酒席で〝し好〟が一致して以来、声をかけられる機会が増えた。ツイート直後に亡くなったことに、思わず耳を疑った。

ハヤブサを偲ぶ会の祭壇(2016年4月、後楽園ホール)
ハヤブサを偲ぶ会の祭壇(2016年4月、後楽園ホール)

 9回目の命日、3月3日は生前ハヤブサが「眠れないのでNCISイッキ観中♪」とツイートして〝お気に入り〟だった「NCIS ネイビー犯罪捜査班」でも見て、偲ぶとしよう。

 ハヤブサは性格がよくて、人懐っこい笑顔が魅力的だった。〝伝説〟として、いつまでもファンの記憶から消えることはないだろう(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る