【橘高淳 審眼(44)】2005年9月7日の中日―阪神(ナゴヤドーム)の話を続けます。阪神が2点リードの9回、守護神の久保田智之投手が登板するも中日の反撃に遭って同点。そこに至るまでには球審を務めていた私の本塁上での判定が、阪神側にとって不利になる経緯もありました。
3―3の同点で一死満塁。阪神・岡田彰布監督はこのシーズン初めてマウンドに足を運び、バッテリーと内野陣を鼓舞。指揮官はもう開き直ってどんどん内角を攻めろという指示を出したようです。
同年のリーグ優勝を決めた後、岡田監督はテレビの取材で「久保田があんだけインコース真っすぐばかりいくということは、大体どんなこと言うたか分かると思うんですけど」と話されていました。
試合再開後、私は久保田投手が生気を取り戻したように感じていました。明らかに投げるボールが違うんですから。私は選手の調子うんぬんを述べる立場にありませんが、9回の登板直後の久保田投手のボールは普段と違うなと感じていました。何となくフワフワしていたというか…。それまで私が見てきた投球は、もっとボールが「ビンビン」力強く捕手のミットに収まるイメージでした。おそらく緊張していたんでしょうか、あの日はそうではありませんでした。
ただ、岡田監督のゲキが飛んでからは別です。腹をくくったのでしょう。打席には英智選手の代打・渡辺選手が入りましたが、全球ストレートで空振り三振。続くタイロン・ウッズ選手には全球がインハイへの直球で3球三振です。その結果、試合は延長戦に突入しました。結果論ですが、9回の登板直後から久保田投手が、あのボールを投げ込んでいたらピンチを招くことはなかったでしょうね。
そして延長11回、阪神・中村豊選手が左翼席最前列に飛び込む決勝ソロを放つことになります。9回の攻防で本塁憤死した、つまり私からアウトを宣告された走者が試合を決める一発を打つことになりました。値千金の勝ち越し弾は中村豊選手にとって3年ぶりであり、日本ハムから阪神に移籍後初、このシーズン唯一のホームランとなりました。
9回に桧山進次郎選手の代走で途中出場していた中村豊選手自身も、ああいった展開は予想していなかったでしょう。久保田投手はそのまま続投して11回の中日の攻撃を無失点に退けて阪神が勝利。2位・中日とのゲーム差を再び「3」に広げ、首位を守りました。
あのシーズン、阪神リードで6回以降に相手チームの監督が選手交代を告げに来ると「もう6回で終わり」とため息をつく監督もいました。それほど「JFK」と呼ばれたジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の3投手がすごかったのは事実です。今振り返ってみると、あの頃の藤川投手のボールが一番速かったと思いますね。












