【昭和~平成スター列伝】3月6日は“燃える闘魂”ことアントニオ猪木が創設した新日本プロレスの「旗揚げ記念日」に当たる。1972年3月6日、大田区体育館で“神様”カール・ゴッチとのシングル戦という華々しいスタートも、その後は苦闘を強いられた。当時はまだテレビ中継もなく、日本プロレスが絶対的存在だった時代であり、各マスコミの扱いも冷淡なものだった。

坂口征二が押さえ、アントニオ猪木がニードロップを決める。黄金連係が復活した
坂口征二が押さえ、アントニオ猪木がニードロップを決める。黄金連係が復活した

 同年10月21日にはジャイアント馬場も日本テレビのバックアップで全日本プロレスを旗揚げ。猪木は10月10日大阪でゴッチから「幻の世界ヘビー級ベルト」を奪うなど孤軍奮闘を続けたが、経営は苦しく1年間で約1億円の負債を背負ったとの説もある。その苦境を救ったのが“世界の荒鷲”こと坂口征二である。

 坂口は73年3月8日栃木・佐野大会を最後に日プロを退団すると、4月1日佐賀・鹿島大会から猪木と合流。サイクロン・ソトをKOして「新しいスタートですからね。力一杯やった日プロ時代と変わったと言われたくない」と胸を張った。4月6日からはNETが「ワールドプロレスリング」中継を開始。まさに坂口の合流は団体の機運を上げた。そして4月20日蔵前国技館では約1年半ぶりに猪木と坂口の黄金タッグが復活する。

「1年6か月ぶりに猪木、坂口の“黄金タッグ”が実現した新日プロ東京大会は公約通り猪木、坂口組がC・ソト、J・ウィルキンズ組にストレート勝ちした。10分過ぎ、日本組の堅さが取れ、坂口が水平打ち、ネックハンギング、アトミックドロップを爆発させて猪木にバトンタッチ。猪木は電光石火の回転エビ固めで先制した。2本目は黄金タッグが存分に力を発揮。坂口がウィルキンズを捕らえ、猪木がポスト最上段からニードロップ。猪木がデスロックの足殺しをやると、坂口も呼応してレッグロックの波状攻撃。外国人組は反則攻撃に出るが、猪木がドロップキックからブレーンバスター。坂口はすぐさまウィルキンズを引き込んでアトミックドロップを見舞い、そのまま肩口に担ぎ上げてすさまじいアルゼンチンバックブリーカー。粘ったウィルキンズも坂口の力づくの背骨地獄にギブアップ。黄金タッグは2―0で完勝。見事ファンの声援にこたえた」(抜粋)

 くしくも同日は日プロが群馬・吉井町で最後の興行を行っている。一方、坂口の人気は抜群で無人の荒野を歩む猪木にとっては何よりの援軍となった。2人は同年10月14日蔵前でルー・テーズ、ゴッチ組の「世界最強コンビ」に勝利。新日本躍動の起爆剤となった。新日本は2000年代の低迷期に棚橋弘至、中邑真輔が奮闘して団体を「V字回復」させたが、旗揚げ時の“世界の荒鷲”は文字通りの“救世主”となり、猪木を支え続けて団体をトップへ押し上げた最大の貢献者だった。 (敬称略)