【プロレス蔵出し写真館】初代タイガーマスク(佐山サトル)の不敗神話が、ユニバーサル・プロレス(旧UWF)で崩壊した。
今から39年前の1985年(昭和60年)1月16日、大阪大会でスーパー・タイガー(当時のリングネーム)は藤原喜明のチキンウイングアームロックで、左肩を脱きゅうした末にレフェリーストップ負けを喫した。4日後の20日、後楽園大会では左腕に高田伸彦(後の延彦)の容赦のないキック攻撃を浴び、またもレフェリーストップで敗北。
初代タイガー時代の82年7月23日、金沢でダイナマイト・キッドに反則負けして以来のシングルでの敗戦。2連敗というまさかの結果に、タイガーはこつ然と姿を消した。
東スポの2月13日付紙面で、その動向が明らかにされた。
タイガーは山崎一夫を帯同して極秘裏に香港、そして中国に乗り込み太極拳、少林寺拳法のルーツを探り奥義を窮める修行を敢行していたという。
1月28日に香港に飛び蟷螂拳(とうろうけん)と詠春拳(えいしゅんけん)の道場を訪れ、実技を視察。アクション俳優ユン・ピョウとも格闘技談議に話が弾んだ。
2月1日に帰国する山崎と分かれ単身、中国に渡った。列車で4時間の広州に到着し、その足で広州体育館に向かう。ここで虎拳、長剣の極意に接し、広州武術体育学校で双拳、酔拳、南拳に取り組んで模擬に熱中した。
「中国4千年の武術を、自分の持っているものにプラスする野望は以前から持っていた。そのひとつひとつを、この目で見、体で覚えることでより自分のシューティングの幅を広げていく」と大望を語ったタイガー。
そして次の目的地は広州から夜汽車で22時間の桂林。ここで南拳で6年間も王座を守っているヤン・ケンコウと対面。ヤンの型を見つめるタイガーの目は爛々と輝いていた。
2月7日まで10日間に渡る、充実した武術修行だったのだ。
この修行風景はテレビ収録されていて、カンフー王者やキックボクシング王者との対決シーンも電波に乗った。とはいえ、対決シーンはあくまで〝テレビ用〟。王者は素人然とした風体でタイガーとスパーで対峙し、ナレーションで対決風に煽るという手法だった。
タイガーは後年、船木誠勝に聞かれ、テレビスタッフに頼まれて仕方なく要請を受けたと明かしている。
ところで、香港で話に花を咲かせたユン・ピョウとは前年の84年(昭和59年)7月13日、内幸町の帝国ホテルで行われた香港映画「五福星」の公開記念会見で顔を合わせていた。
会見にはユン・ピョウ、監督・主演のサモ・ハン・キンポー、プロデューサーのゴールデン・ハーベスト社社長レイモンド・チョウ、そして香港の国際的アクションスター、ジャッキー・チェンが出席。約1時間の会見が終わり、ザ・タイガー(当時のリングネーム)が登場してジャッキーとガッチリ握手をかわした。
タイガーは「4年前、イギリスでファイトしていたとき、同じ東洋人ということでジャッキーがわざわざ訪ねて来てくれた」と語り、今回はジャッキーが「タイガーにぜひ会いたい」とリクエストして顔合わせが実現した。
4年前といえば、初代タイガーとして帰国する前年。ブルース・リー風の衣装を着たタイガーは、サミー・リーのリングネームで大人気だった。
タイガーは「彼の映画はすべて見ているし、一本の映画を何回も見るほどの大ファン。英語でイギリス時代の思い出話をした。ジャッキーのアクション映画を見るとファイトをかきたてられる」そう熱く語った。自ら命懸けのスタントをこなしているジャッキーだからこそなのだろう。
ところで、先日ジャッキーはネットニュースで話題になったばかり。3月中旬に中国・四川省で行われたイベントでの近影が〝老けすぎ〟というものだ。
中国版X「微博(ウェイボー)」で広まっている写真が、髪の毛とひげがほとんど白くなり、病気を疑う書き込みも見られた。武漢市での撮影の役作りという事情通の話もあり、真偽は不明。4月7日に70歳を迎えたが、映画には携わっているようだ。
さて、タイガーは昨年12月に原因不明だった病気が「メニエール病」と判明したことを明かした。今後の回復に期待は持てるだろうか…。病気と上手に付き合っていってもらいたい(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













