【プロレス蔵出し写真館】闘病中の初代タイガーマスク(佐山サトル)が8月31日、後楽園ホールで行われた自身が主宰するストロングスタイルプロレスに来場した。タイガーは数年前にパーキンソン病の疑いと診断され、体調不良に悩まされてきた。
さて、初代タイガーマスクとして絶大な人気を誇った佐山がマスクを脱いで引退したのは今から40年も前のこと。1983年(昭和58年)8月10日付けで、新日本プロレスとテレビ朝日に内容証明付き文書で契約解除を申し入れた。
ザ・タイガーとして、約1年ぶりに復帰したのは84年7月23日、後楽園ホールで行われた旧UWF(ユニバーサル・プロレス)の「無限大記念日」だった。
高田伸彦(後に延彦)とタッグを組み、前田日明&藤原喜明組と対戦した。
コーナーポストに立って指を一本突き上げるタイガーに、復帰を待っていた観客は大歓声。藤原相手に、バック宙して蹴りを見舞う「電光回転蹴り(ドローイングフラッシュキック)」を初公開。ダウンしている藤原にフライングヘッドバットを狙い、コーナーから5メートルの大飛行(写真)。〝さすが〟の見せ場を演出した。
その後のUWFは木戸修が加入、タイガーも9月にスーパータイガーと改名して、格闘技色を強めていった。
12月5日、後楽園大会でタイガーと藤原はノーフォールデスマッチで激闘を展開。翌日、東スポの紙面には、タイガーのキックをまともに顔面に食らう藤原の写真が使用された。
藤原をKOした佐山だが、人の気持ちに配慮する姿を見たのは、後日、この写真パネルを佐山に見せたときのこと。
新聞を見た私の友人が、写真が欲しいと言ってきたのでサインも入れてあげようと、佐山にお願いした。佐山は快くサインをしてくれて、「この写真、藤原さんには見せない方がいいよ。絶対怒るから…」そう忠告してくれた。
もっとも、後から佐山が「藤原さんがあの写真、欲しいって言ってたよ」と伝えに来て、後日、パネルにして持参したのだが…。藤原は「いい写真だ」と喜んでくれた。怒るどころか、気に入ってくれていた。
さて、ずいぶん時を経た08年12月18日、後楽園ホールで「昭和プロレス」第2回大会が行われ、佐山は初代タイガーマスクとして胃がん摘出手術から復帰した藤原と対戦。手術痕の30センチ近い傷口も生々しい腹部に、容赦なくソバット、ミドルキックを連打した。たまらずセコンドの獣神サンダー・ライガーはタオルを投げ、藤原は投げ返したもののレフェリーストップの裁定が下った。
手加減せず非情な攻めをする佐山に驚愕したが、これは藤原を思ってのことだろう。
さて、現在ユーチューブで佐山がタイガーマスクになる以前の、イギリスでサミー・リーとして大人気だったころの映像や、修斗代表としてシューティングの普及に努める合宿の様子を収めた動画が〝ウケて〟いる。
「もっと思いっきり蹴ってみ。オレがさ、思いっきり蹴れって言ったら思いっきり蹴らないと。舐めてんのオレを? 舐めてんのか! 〇すぞ、この野郎!」。激高した佐山が怒鳴り、門下生の顔面に平手、パンチが飛ぶ。さらに他の門下生を竹刀で殴打、腹にパンチ。かなり過激な映像だ。
初めて視聴したときは「あの佐山が…」と驚きもあったが、以前、「キレやすいんですよ」と話してくれたことに納得した。
佐山の試合での復帰は無理だろうが、元気でいてもらいたいと切に願う(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














