元祖アイドルレスラーとして一世を風びした元女子プロレスラー、キューティー鈴木(54)の新連載「白い青春」がスタート! 純白のコスチュームに身を包み、世の男性をとりこにしたキューティーは現在、高校2年と小学6年の息子を育てる主婦。連載では12年間の現役生活を振り返りつつ、「アイドル」という仮面の奥に隠された素顔に迫る。第1回は「スターダム」をはじめ、アイドル化が進む女子プロ界についてだ。元祖アイドルレスラーの目にはどう映るのか――。

記者(右)の質問に笑顔で応えるキューティー鈴木
記者(右)の質問に笑顔で応えるキューティー鈴木

【キューティー鈴木・白い青春(1)】

 ――近況について

 キューティー鈴木(以下鈴木)今は小学6年生と、高校2年生の息子がいます。平日は朝6時半に起きて長男のお弁当を作って、土日は下の子のサッカーの応援に行ってます。基本、毎日夕飯を作って主婦をしています。結婚して子供を産んでからは、子供たちに振り回されてますね。若い頃は人と殴り合うような非日常的な生活でしたけど、今は特に何があるわけではない普通の日々。きっと、こういうのが私にとっての幸せなんだなと思ってます。

 ――同期で親友の尾崎魔弓(OZアカデミー)は現役を続けている

 鈴木 本当にすごい。尾崎が一番最後まで現役でいるなんて…。よく(ダイナマイト)関西が「自分が尾崎の引退まで見守る」って話してたけど、関西も引退したし。それに尾崎は昔から、どちらかというと人任せなタイプで優柔不断だったから、社長業に向いてるとは思わなかったですね。

 ――引退してから試合をしたいと思ったことは

 鈴木 全くないです。たまに「一日限定で復帰」みたいなお話をいただきましたけど。その試合のために2~3か月練習するとか、練習している間、誰が息子を見るんだとか考えた上でギャラを計算すると絶対に割に合わないと思って。全部お断りしました(笑い)。

絶大な人気を誇るアイドルレスラーだった(1993年)
絶大な人気を誇るアイドルレスラーだった(1993年)

 ――最近プロレスを見たか

 鈴木 以前は母と子供たちを連れて尾崎のOZアカデミーに行ってましたけど、最近は年に1、2回かな。息子のサッカーが忙しくて…。

 ――今のレスラーをどう思うか

 鈴木 自分の見せ方をわかっていて上手ですよね。おしゃれにも敏感だからコスチュームも色鮮やかで素敵だし、自分をきれいに見せたり、かわいく見せたり、自己プロデュースに長けている。しかも、デビューしてすぐの子でもそんなふうにできる子が多い。私が新人の頃は芋くさくて化粧もしてなかった。とりあえず言われたことをがむしゃらにやることしか考えてなかったです。

 ――注目の選手は

 鈴木 前に試合を見に行った時に安納サオリさんがかわいかった! 彼女は自分のかわいさとか色っぽさを理解していて発信もできている。今の子たちはすごいなって関心を持ち始めたのは、安納さんがきっかけです。

注目しているという安納サオリ
注目しているという安納サオリ

 ――昔との違いは

 鈴木 私たちの時代はプロレスラーになることが一つの夢だったし、なかなかなれるものではなかった。まずはオーディションからで、それもほんのひと握りの人しか受からない。でも今はプロレスラーになりたいっていう子が少ないし、団体も増えているから、「本当になりたい」と思ったらほぼほぼ受かると思うんです。それが悪いわけではないけど、私の時に感じていた「やっとプロレスラーになれた」という思いや「あともうちょっと頑張らなきゃ」っていう踏ん張りもきかなくなってしまう気がするんです…。でも、自分自身が頑張っていたものが、こうして今も続いてることはすごくうれしいです。

 ――女子プロは今後どんな存在になってほしい

 鈴木 今の子が「ユーチューバーになりたい」とか言うように「プロレスラーになりたい」って憧れられる職業になってほしいですよね。私はバブルとかいろんなタイミングが重なって、キューティー鈴木という名前が世に出るようになった。そういういいタイミングがくれば、きっとまたプロレスブームが来ると思うんです。だからいろいろ仕掛けていって頑張ってほしいですね。

 ――最後に

 鈴木 私のプロレス人生はつらいことも、うれしいこともたくさんありました。でも、そこには「絶対プロレスラーになる」「プロレスが大好き」っていう強い気持ちがあったから、新人時代の苦しい練習も乗り越えられたし、芸能のお仕事も続けられたと思ってます。生まれ変わってもまたプロレスラーになりたい。そんな私のプロレス人生をのぞいてみてください。

大型連載がスタート
大型連載がスタート

☆キューティー鈴木 本名・原嶋由美(旧姓鈴木)。1969年10月22日生まれ。埼玉県川口市出身。市立川口女子高時代の85年に全日本女子プロレスのオーディションを受けるも不合格。86年に旗揚げするジャパン女子プロレスに入団した。同9月に作詞家の秋元康氏が命名したリングネームでプラム麻里子を相手にデビュー。92年1月のジャパン女子解散後、JWP女子プロレスの旗揚げに参加し、98年12月に引退した。2005年に結婚し、現在2人の息子を育てている。