1969年10月22日、埼玉県川口市に私、鈴木由美は生まれました。内装業を営む父の金四郎と専業主婦だった母の美津枝の長女。3つ上の兄・徳行と4つ下の弟・義行にはさまれていたので、わりと男の子っぽい性格でした。小さいころからほとんど家にはいなかったし、友達と外を走り回ってましたね。七五三のときも早く着物を脱ぎたくて仕方なかったな。でも兄はぜんそく持ち。弟も体が弱く頻繁に入院していたので、親に迷惑をかけないようにおとなしくしてました。弟の面倒もよく見ていたので、そんなに手のかかる子ではなかったはずです。

1969年10月22日に埼玉県川口市に誕生したキューティー(本人提供)
1969年10月22日に埼玉県川口市に誕生したキューティー(本人提供)

 父は昔かたぎの人で、怒ったらすぐに手が出るような人でした。私には、そんなことしなかったけど、兄はよく殴られてましたね。兄は反抗してなかったけど、私はお父さんに怒られたら「そんな大げさに怒ることないじゃない!」って言い返してましたよ。ある日、兄が友達とケンカして泣いて帰ってきたことがあって。そうすると、父は「やり返してくるまで帰ってくるな」って怒ったんです。だから私も「負けて帰ってきちゃいけない」って、子供のころから思ってました。

 私は子供が多い時代に生まれたので、近所に同世代の友人がたくさんいたんです。自宅の裏の空き地で兄たちがよく野球をやっていたので、私も人数合わせで参加していました。でもヘタくそだったから、いつも兄にいじめられてましたね。だいたいケンカして、兄に負けると「憎たらしい」と思って弟に八つ当たりしてました。でも私が全日本女子プロレスにハマってからは毎週金曜日のリモコン争奪戦では兄に勝っていたんですよ。

 小学校3年生のときにたまたまテレビで見た女子プロレスにハマったんです。そのときはビューティ・ペア(故ジャッキー佐藤さん&マキ上田)が空前の大人気でプロレスブームが起きていたんです。2人とも戦ってる姿が本当にかっこよくて好きでしたね。初めて自分でお金を出して買ったレコードもビューティ・ペアだったな。

 だからマキ(上田)さんの引退試合は本当に衝撃でした。当時小さかった私の中に“引退”っていう言葉がなくて、この人たちはずっとプロレスをやっていくんだろうって思っていたので「なんでマキさんは相棒のジャッキー(佐藤)さんと戦って、負けたら辞めちゃうんだろう?」って理解できなかった。

 マキさんが負けた瞬間は信じられなくて泣いていたような気がしますね。その後テレビで女子プロレスを放送する回数が減っていって、それでも新聞のテレビ欄をチェックし「今日はプロレスがある!」って放送を楽しみにしていたのは覚えています。でも、まだそのころは「プロレスラーになりたい」とはまったく思っていなかったな。