【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(28)】2007年はケンドーコバヤシ(お笑い芸人)が俺のことを番組(※)で紹介してくれて、驚いたことばかりだった。実はさ、最初は全く知らなくて。移動のバスで誰かが入れたビデオで初めて見て「え? 何だ、これは? 何で俺が?」ってビックリだったよ。

永田とのIWGP戦に入場する越中は号泣(07年5月2日、後楽園)
永田とのIWGP戦に入場する越中は号泣(07年5月2日、後楽園)

 あれで女性ファンが増えたのはあったよね。うれしいよ、女性ファンは好きだから(笑い)。ケンドーコバヤシがここまで影響力があるとは思わなかった。5月2日の後楽園大会では11年ぶりにIWGPヘビー級ベルトに挑戦した。チャンピオンは永田裕志。あのときの入場は、今でも覚えている。本当に申し訳なかったから。鳥肌が立って涙が止まらなかったんだ。あんな経験ないよ。

 どこがってことじゃないんだけど、実はその日、すげえ調子が悪かった。練習が終わって控室に戻っても調子が戻らなくて、ずっとストレッチをしたり体を動かしたりしていた。キレるようにしないとなって不安の方が大きくて、そうしたら入場のときに会場から「ワー、ワー」って大歓声が聞こえてきた。それにビックリ。そのときだけだね、涙を流したのは。

 でもヤジっていうのかな。「始まってもないのに泣いてる場合か!」っていう声があって、それで「あっ、そうだ。こんなことしてる場合じゃないよな」ってシャキッとした。その声だけ聞こえたのがすごいよな。普通なら、あの大歓声の中では聞こえないけど、いいこと言ってくれたやつがいたんだよ。

 このときベルトは取れなかった。でも「対新日本」という反対側にずっといたんで「何してんだ!」みたいな罵声には慣れっこだったけど、声援を送ってくれて「それいけ!」みたいになったのはうれしかったね。空前の越中ブーム? WJが終わっていろいろあって、ご褒美じゃないけどさ。見ててくれたのかなっていうのはあるね。

 08年からはハッスルにも出た。ただイメージがああいう形だったから、芝居がかったことをやらされるかと思い(山口日昇)社長に恵比寿のホテルで会うまではオファーを受けない方に傾いていたんだよ。そうしたら「何かをやってくれとは言わないので、今まで通りの越中さんを出してくれればそれでいいです」と言ってくれた。それでOK出したんだけど、まあいろいろやらされたよね…。あれは何だったんだと(笑い)。これもあまり言いたくないけど、ギャラが振り込まれたのは1回目だけだった。大変なときに声をかけてくれたんだなというのがわかったよ。

 ハッスルでは高田延彦(高田総統?)とも再会したし、川田利明や安生洋二もいたね。天龍源一郎さんとは、この後もかかわることになるんだけど…。

 ※ 07年1月のテレビ朝日系「アメトーク!」で、ケンドーコバヤシが「越中詩郎芸人」として越中をプレゼンした。