【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(24)】平成維震軍は1999年2月に解散し、その後は本隊に復帰した。2003年に新日本プロレスを退団するまでは会社の方の仕事もやっていた。長州力さんが長年、現場監督やっていて、一歩引きたいみたいになって。引くにあたり誰を立てるかってなったときに「越中に手伝ってもらったらどうか?」みたいになったと思う。

WJ旗揚げ戦では大仁田(右)と電流爆破マッチで対戦(03年3月1日、横浜アリーナ)
WJ旗揚げ戦では大仁田(右)と電流爆破マッチで対戦(03年3月1日、横浜アリーナ)

 ただ、俺には向かないなって思って長州さんに話したら「じゃあ俺はどうなってもいいのか? お前の勝手で済むことか?」みたいな話になってしまって…。やるにはやったけど、何もできなくずっこけたと思うよ。シリーズが終わってクタクタなのに、次の日の朝9時には長州さんを迎えに行って会議だから。現役でやっていても大変なのに、それプラス「やれ」って無理だよ…。

 03年1月の契約満了に伴い新日本を離れた。長州さんがWJプロレスをやると言うので「わかりました」とついていったんだ。長州さんの手腕はわかっていたので、いい方向にいくと思っていたけど、早かったね…。03年3月1日に横浜アリーナで旗揚げして(1年を持たずに事実上崩壊するまで)短い期間だったけど、これは長州さんがどうこうじゃないし、自分で決めた道だから。「こういうこともあるよな」って後悔とかなく、スパッと割り切れるよ。

 WJでは役員を務めたけど、そこまで突っ込んではない。そうだ、付け人が初めて就いたんだよ、宇和野(貴史=※1)が。だけど1か月くらいで「自分のことは自分でやるから」と。宇和野が悪いとかじゃなく、俺は俺でやるってなってね。割とWJはゴチャゴチャしてたよね。試合どころじゃなかったんじゃないかな。「ギャラも我慢してくれ」となったのも早かった。何十%引きとかじゃなく、ゼロだから。さすがにきつかったね。

 旗揚げ戦では、大仁田厚のオッサンと電流爆破をやった。当時も「あんな爆弾、大したことねえって」みたいなことを言ったけど、別に意識しなかったね。爆弾くらい何ともないなって思っていたから。大森隆男、安生洋二らと反選手会同盟(後のレイバーユニオン)をつくったのは、長州さんら本隊と対抗するために色をつけたんだよ。でも、元祖は長州さんだから。維新軍とかつくって日本人同士の熱い戦いを見せただろ? 大森たちもこういう形がいいんじゃないかと思ったんだ。

 まあ、とにかくWJのグチとかそういう話はしたくないね。長州さんとの関係はずっと続けたいし、あのときはみんな長州さんが好きで来たんで。それをああだ、こうだ言っても何にもならないよ。この後に三沢光晴とやるのも、理由はそこだよ。WJでギャラが入ってこないので、ノアに参戦するんだけど…。

※ 元プロレスラー。98年11月にIWAジャパンでデビューしWJを経てリキプロに移籍。08年2月に引退。