【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(19)】1992年11月17日、場所は福井だった。ザ・グレート・カブキさんが反選手会同盟に加入することが発表された。俺が全日本プロレスの若手時代に、大先輩だった存在だ。カブキさんには申し訳ないけど、俺たちの間には最初「えっ? 何で? どういう力を与えてくれるの?」みたいな空気があった。

反選手会同盟にカブキ(中)が加入した(92年11月17日、福井)
反選手会同盟にカブキ(中)が加入した(92年11月17日、福井)

 それが1発目だよ。カブキさんが合流した最初の試合が、12月1日の千葉公園体育館大会。俺とカブキさんが組んで、相手に藤波(辰爾)さんがいた。そうしたらアッパーカットで藤波さんをボコボコやってくれるわけだ。聞いたら2人は日本プロレス以来の再会で当時の藤波さんはまだペーペーだった。でもあのときの藤波さんとは違って、勢いがあったからね。それを見て「これはすごいことになるな」って確信に変わった。しかも俺が俺がじゃなく、越中を立てて、という感じでやってくれた。

 このころはWARとの抗争も続いていたから、スケジュールもタイトだったね。新日本のシリーズが終わってWARに合流し、最終戦が長崎だった。試合は阿修羅原さんとのシングル。でも、うかつにも旅館で寝てしまって午後4時前にカブキさんから「試合行くぞ」って言われて「はっ!」って起きたことがあった。それだけ体がボロボロで、当時が疲れのピークだった。だって、毎日天龍源一郎さんとぶつかってるわけだから。

 12月14日の大阪府立体育会館大会では、ついに天龍さんとの一騎打ちが組まれた。しかも新日本の年内最終興行のメイン。社内では「何で他団体のヤツがメインなんだ?」って、グレート・ムタと馳浩のシングルを「メインにしてくれ」と言ってきた。それを永島(※)が覆さなかった。「お前と天龍がメインをやってくれ」ってね。昔、天龍さんとは全日本にいたから、なあなあになったらファンに対して失礼だと思った。一方で、全日本を出るときに俺のポケットに万札を入れてくれた方とこうしてやるのも不思議だなって。

 その試合が終わってマサ斎藤さんが解説席から飛んできた。「お前、こんな試合やって、次のドームで長州がやるんだぞ」って言われ「そんなこと言ったって、こっちだって必死にやってんですよ」ってケンカになった。つまり解説席でそれだけのものを感じてくれたんじゃないかな。93年1月4日の東京ドームで天龍VS長州が決まっていたんだけど、これ以上の試合をやればいいじゃねえかって話だし。

 それと新日本の大阪府立史上、最大のお客さんが入ったと報告を受けてうれしかったね。93年2月には小林邦昭さんが大腸がんから復帰。8月には小原道由、11月には後藤達俊が加入し、反選手会同盟から平成維震軍に改名した。 

 ※元新日本取締役の永島勝司氏。平成の仕掛け人と呼ばれた。