【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(20)】1993年11月。俺と小林邦昭、青柳政司、齋藤彰俊、木村健悟、ザ・グレート・カブキ、小原道由、後藤達俊の反選手会同盟は「平成維震軍」と改名した。小原と後藤が加入して、何か“あっちの筋”の集まりみたいになったよな…。正直、当時は反選手会同盟で終わると思っていた。

越中のセコンドに就く青柳(左)と旗持ちの齋藤(93年8月)
越中のセコンドに就く青柳(左)と旗持ちの齋藤(93年8月)

 名前を変えて新しく出ていこうみたいな流れになって、マスコミの方が考えてくれたんだ。だって、うちのメンバーで誰か考えるヤツがいる?(笑い)。他の案があったら「ああ、いいじゃない」ってなっていたと思うよ。そのときも「昭和維新軍(※)があって何でまた…」とか言われたけど「名前じゃねえんだ」って。中身があれば名前も上がるし、なければ消えていっちゃうだけ。だから正直、そこまで名前は重視してないよ。

 長州力さんには「維震軍は何で記事になってねえんだ? 毎日東スポを引っ張ってきて『こう書け』ってくらいやれ!」って言われた。でも、当時は蝶野正洋がよく発信していたから、同じのは嫌だった。口で蝶野に「ふざけんじゃねえ、コノヤロー」と言っても同じじゃん。だから俺らはリングを見てくれ、リングで発信しているんだというのを訴えたかった。

 それに個性のある連中が本隊にも蝶野軍にもいっぱいいるわけじゃん。違いや色をいかに出そうというのが俺の思いだった。周りから「目立たない」「地味だ」「道着が…」と言われようが、違いを出すためなら非難も甘んじていい方向に受けましょうと考えた。そもそもインパクトがなくちゃ反発の声も聞こえてこないじゃない。「声が聞こえてくるからいいな」って思っていた。

 ただ道着は変えないでやろうというのだけはあった。後から入ったヤツに「今までのスタイルを捨ててくれ。道着を着てくれ」と言った。周囲の反発には「お前らバカか。お前らと同じタイツはいて維震軍って名乗って何になるんだコノヤロー」って逆に言いたくなった。青柳がいたんで、道着に関してはポイントポイントで色変えようとなったとき、すぐに準備してくれた。いろんな色でインパクトを残せたかなって思う。まあ大事なのは人に流されず、思ったことを貫くことだね。

 あと青柳と彰俊には「お前ら何やってんだ!」っていつも怒鳴っていた。プロレスのプの字も知らないで新日本のリングに上がっているので、できなくて当然だよ。俺の腹の中では「それでいいんだよ。できなくても戦いを続けていれば、それが色だからいいんだ」と思っていたけど、そう言ってしまうと彼らが緩んじゃうからね。こうして8人になった維震軍だけど、94年1月に最初の離脱者が出たんだ。 

 ※80年代に活躍した長州、マサ斎藤、寺西勇、谷津嘉章、アニマル浜口、キラー・カーン、小林邦昭の軍団