【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(21)】平成維震軍から青柳政司が抜けた。1994年1月のことだ。それでも俺たちの勢いは止まらない。ついには自主興行を開催するまでになったからね。11月13日に東京ベイNKホールで旗揚げ戦が行われた。俺の相手はタイガー・ジェット・シン。アントニオ猪木さんが89年4月24日の東京ドーム大会でショータ・チョチョシビリと戦ったときに使った円形のリングが用意された。

越中(右手前)らが控室に乗り込むと長州(左)も反撃(95年2月14日、後楽園)
越中(右手前)らが控室に乗り込むと長州(左)も反撃(95年2月14日、後楽園)

 でも、永島(勝司=新日本プロレス取締役)は猪木さんがやったことをこっちに押しつけてるように見えたから「俺はアントニオ猪木にはなれないから」っていう反発みたいなのはあった。しかも、シンは飛行機が遅れたとかいって会場に来たのが午後6時。本当に来るのかやきもきしたし、体調がいいわけないから試合にならない。

 試合は猪木さんがレフェリーを務め、試合にも介入した。猪木さんも困ったと思うよ。「俺は何をすればいいの?」ってくらいに思っていたんじゃないかな。後藤達俊の相手はウィリアム・ルスカだったり、とにかく試合内容もそうだし、みんなの体調もよくなかった。旗揚げ戦は大失敗もいいとこだよ。

 旗揚げ2戦目は12月24日の後楽園ホール。ここではサブゥーと戦ったんだけど、これは全然かみ合わなかった。「何でコイツなんだよ…」って。普通ならそこで自主興行は終わりだよ。でも、そこから長州力さんが出てきて昭和維新軍との抗争につながる。長州さんは口には出さなかったけど、そんなに気乗りしてなかったと思う。ただ、バックアップしなきゃいけないのに、できなかった申し訳なさはあったかもね。

 長州さんといえば、95年2月12日の後楽園だ。あの日は、昼が平成維震軍の興行で夜が新日本プロレスの興行だった。昼は越中、後藤、ザ・グレート・カブキ組VS長州、マサ斎藤、谷津嘉章組という昭和維新軍とのカードだったんだけど、長州さんが来なかったんだよ。その絡みで切符を売ってお客さんも入っていたのに…。昼の興行が終わって維震軍のメンバーに「みんな残れ」って言って2~3時間待たせた。俺らは控室入り口のスペースに待機し、新日本の営業に「長州が来たら教えろ」と指示してね。

「来ました!」と連絡が来たからバーンっと控室のドアを開けて乗り込んだ。テレビ局も長州さんも知らないのに、しっかりテレビ局のカメラが撮っていたのはビックリだったな。とにかくマイク1本で「欠場します」じゃ示しがつかないし、考えている余裕なんかない。感性で動いたようなもんだ。そうしたら長州さんも乗ってきて乱闘になった。あれがなかったら何でもない昼夜興行だったな。このときの昼興行ではもう一つの事件もあったんだ。