【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(22)】1995年2月12日。昼に平成維震軍、夜は新日本プロレスの興行が後楽園ホールで行われた。昼の興行ではカードに入っていた長州力さんが会場に来ないし、維震軍入りを勧めていた天山広吉に断られるという散々な日だったね…。
天山は海外武者修行に行っていて、94年の12月に帰国した。俺たちは「せっかく帰ってくるならハクをつけたいな」「じゃあ拉致しに行きましょう」ってなった。東スポにも言って、道場(東京・世田谷区等々力)を出たのが朝の4時。6時には成田空港に着いた。
搭乗ゲートから天山が出てくるのを見つけると「おい、拉致して車に乗っけろ!」だからね…。今考えると、本当にバカだったな(笑い)。あれ、警察がいたらどうなっていたんだろうか。それに東スポがその場にいなかったら、朝の6時にそんなことをやっても、何でもないよな…。
天山には車の中で事情を説明した。結局「返事をよこせ」と言ったら2月12日の後楽園ホール大会で断られたけど、もし「わかりました」だったら面白くも何ともないよ。それに天山は、あれで帰国にハクがついたんだから。俺らのおかげだぞ、朝の6時だぞ「コノヤロー!」だよ。
とにかく維震軍時代はあれやろう、これやろうっていろいろ思いついたし充実していたね。あと維震軍の興行では連判状を販売したことがあった。赤穂浪士のように、7人のサインを入れて母印を押してさ。それがバカ売れしたんだ。500円くらいで飛ぶように売れたね。多いときは約300枚。控室では1時間くらいサインして、試合前に俺たちがリングに並んで1枚ずつファンに手渡したんだ。
実はこれ、長州力さんがキッカケなんだよ。あるとき「連判状を…」とポロッと言ったことがあって「おう、これだ! すぐに作ろう」って思ったんだよね。長州さんが言うことは100%当たるからすごい。そういえば、あの売り上げは「会社に納めなくていいから」って言われ、シリーズ中に何回かみんなで食事会をしたなあ。
98年に天龍源一郎さんがメンバーに入ったときもそうだ。長州さんに「東スポを連れてサイパンに行ってこい」って言われた。つまり次のシリーズから維震軍として戦うからデモンストレーションをやってこいということだ。普通なら「天龍が合流しました。次のシリーズから頑張ります」っていう記者会見じゃん。そうじゃなく「サイパン行ってこい」だからね。
俺たちは浜辺を走って「次のシリーズは本隊をぶっ潰してやるって!」とやったから、機運は高まったよね。そういえばこのサイパン合宿、みんなで特訓を終えて韓国料理店に行ったんだよ。そうしたら木村健悟さんがさあ…(笑い)。













