【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(26)】プロレス観が変わったのは、藤波辰爾さんの存在だね。ちょっと時代が戻るけど、俺が全日本プロレスにいたときだから1979年かな。藤波さんがニューヨークのマジソンスクエア・ガーデンで試合をやっているのを見た。しかも(WWWFジュニアヘビー級)チャンピオンとして防衛戦をやっているんだからね。技を繰り出すスピード、つなぐスピード、体のキレ、全てにショックを受けた。「えっ? レスラーじゃねえ…」みたいな。すごい人だなと。
レスラーとして、ああいうショックの受け方は初めてだった。だって、普通あんなフルネルソンして投げないし、飛んでいけないって。当時の藤波さんは90キロあるかないか。「ここに近づかないと俺は食っていけないな」って思ったね。あそこで藤波さんの試合を見てなかったら、今の俺はいないよ。
その藤波さんが、今はドラディションの興行に呼んでくれるんだから、これも不思議だよね。今度、3月5日の後楽園大会に出してもらうんだけど、普通は団体から「何月何日は空いてますか? こういう対戦相手ですがどうでしょう?」とギャラも含めて来るじゃん。藤波さんの場合、本人から電話が来て「スケジュールどうだ?」じゃなく「越中、3月5日頼むね」だから(笑い)。せっかく電話をくれたなら世間話もしたいじゃん。なのに藤波さんがそれだけ言うと「じゃあな」って電話を切ろうとするから「ちょちょちょ藤波さん、元気なんですか?」って慌てちゃうよ。それを言わなかったら、藤波さんとの電話はひと言で終わっちゃうって。
そうそう、あと藤波さんで思い出すのは新日本プロレス時代の「旅館破壊事件」(87年1月23日、熊本・水俣市)。新日本とUWFの選手で旅館をぶっ壊しちゃって、誰かが後片付けしないといけないって雰囲気的に思うじゃん。それをやったのが藤波さん。朝の4時ごろにほうきを持って、各部屋をまわって掃除をしていたんだよ。
しかも各部屋に行くと、泥酔した誰かしらが気を失って倒れていたからね…。俺の部屋もひどかった。水洗トイレのポンプが外されて、水があふれ出てんだよ。やったのは後藤(達俊)のバカだよ。普通、トイレのポンプなんて外れないよ…。しかも昔の和室だったから三面鏡があったんだけど、それを後藤が投げるもんだから布団の中がガラスだらけで寝られたもんじゃない。ドアだって引けば開くのに、後藤のバカは一生懸命押してるわけ。「何だこれ? 壊れてるんか!」とボンッと蹴っ飛ばして壊していた。アイツの酒癖は悪いなんてもんじゃない。
なんかいろいろ思い出してきたから、旅館破壊事件についてもうちょっと語ろうか(笑い)。













