清楚なルックスと高い身体能力で全盛期のJWPを支えたのが、福岡晶だ。

97年にはダイナマイト関西を撃破してJWP無差別級王座を獲得
97年にはダイナマイト関西を撃破してJWP無差別級王座を獲得

 1971年2月23日秋田市出身。和洋女子高(現・秋田令和高)時代には体操部に所属して器械体操でインターハイに出場した。幼少時からプロレスに憧れていたが、全日本女子プロレスは書類選考で落選。89年に旗揚げ間もなかったジャパン女子に入門し、同年12月1日の後楽園大会でデビュー。当時からその運動神経の良さで将来のエース候補と目された。得意のムーンサルトフットスタンプは実に美しいフォーム、かつ強力な威力を誇った。

 ジャパン崩壊後からJWPに参加。93年から始まった女子プロ団体対抗戦ブームでも活躍。一時は低迷期に入るも、95年1月8日後楽園では尾崎魔弓と組んで、当時猛威を振るっていた北斗晶率いる下田美馬、三田英津子の「ラス・カチョーラス・オリエンタレス」からJWP認定タッグ王座を奪取。全女に流出していた至宝を奪還して対抗戦を盛り上げた。同王座は通算4度戴冠している。

 またシングルでも97年4月8日後楽園で、格上のダイナマイト関西からJWP無差別級王座を獲得。当時では最多となる6度連続防衛を記録して、名実ともにJWPのエース的存在となった。

 この時期は同時にキャンディー奥津、矢樹広弓とコミカルなファイトを展開する「ひーちゃん’S」も結成。エンターテインメント性を追求する一面も見せている。

 しかし98年10月、試合中に首を負傷。同時に結婚が決まっていたこともあって、99年3月28日後楽園で「ひーちゃん’S」を再結成させた試合を最後に現役を退いた。引退後は地元・秋田に戻って家族と焼き肉店を経営。現役時代に交友があった故三沢光晴さんは、ノアの巡業で秋田を訪れるたびに福岡の店に必ず顔を出した。

 その後は秋田のローカルヒーロー「超神ネイガー」の舞台に、プロレス技を得意とするヒロイン「ネイガー・マイ」として登場するなど地元にも貢献。プロレスで完全燃焼した後は、幸福な人生を歩んでいる。