身長わずか152センチながら、全日本女子プロレス史上屈指の高度な空中ファイターとして歴史に名を刻んだのがチャパリータASARIだ。

跳躍力の高いドロップキックをJWPのキャンディー奥津に見舞う
跳躍力の高いドロップキックをJWPのキャンディー奥津に見舞う

 1973年9月15日東京・荒川区出身。体操の名門、日本女子体育大学付属二階堂高校で体操部に所属。それも「プロレスラーになるため」だったからというから恐れ入る。

 当時の全女は身長160センチ以上という規定があったため、152センチという身長から書類選考で落ちること実に3回。4度目の選考では履歴書に「160センチ」とかなり水増しして応募。何とかオーディションにこぎつけたという逸話を持つ。ここでASARIは選考委員のド肝を抜くような離れ業を披露。後の必殺技スカイツイスタープレス(トップロープからバック転しながらひねりを加えたラウンディングボディープレス)の原型である、体操の空中ひねりを披露したのだ。

 このパフォーマンスでようやく合格したASARIは92年に全女に入門。同年11月19日、東京・葛飾の椎名由香戦で悲願のプロデビューを果たした。その後は本名の渡辺真美からチャパリータASARIにリングネームを変更。90年代中盤から団体対抗戦が本格化すると、スカイツイスタープレス、ロンダート・キック(バック転してからの背面へのドロップキック)で、自分よりはるかにサイズの大きい選手と五分に渡り合った。対抗戦の中でもASARIのスピードと空中技のセンスは群を抜いていた。

 96年には新設されたWWWA世界スーパーライト級初代王座に君臨。実に4度の戴冠を果たし、引退と同時に永久王者に認定された。97年にはみちのくプロレスにもレギュラー参戦して女子部を設立するなどルチャやジュニアの分野で精力的に動き回り、米国WWF(現WWE)のリングにも上がり、スカイツイスタープレスで本場のファンを驚かせた。

 97年に全女を退団すると井上京子のネオ・レディースに移籍。その後はフリーとなり、アルシオンではスカイ・ハイ・オブ・アルシオン王座を獲得。2003年5月5日に約12年間の現役生活にピリオドを打つ。短いが疾走感に満ちたレスラー人生だった。