ミスター女子プロレスこと神取忍が不動のエースとして君臨していたLLPW(現LLPW―X)で職人的存在として活躍。1990年代の女子プロレス団体対抗戦でLLPWを支えた屈指の“名脇役”がハーレー斉藤だった。

 86年にジャパン女子プロレスに入団。同年8月17日後楽園大会のモンスター・リッパー、オーケー・カルホーン戦でデビューした(パートナーはナンシー久美)。166センチ、67キロのバランスの取れた体形とスピード、卓越したプロレスセンスで新人時代から“職人”のイメージが強かった。

 デビュー時のリングネームはハレー彗星にちなんで「ハレー斉藤」だったが、ハーレーダビッドソンのような迫力ある選手を目指すため「ハーレー斉藤」に改名した。

 ジャパン時代は屈指のパワーを誇り、トップに君臨していたダイナマイト関西がまだミスAを名乗っていた時代にコンビを結成。太平洋岸タッグ王座を3度獲得している。コンビ解散後は抗争を展開。関西の豪快なパワー殺法に強烈なキック、関節技などで対抗して数々の名勝負を生んだ。団体崩壊直前の91年2月には、ミスAから看板王座だったUWA女子インターナショナル王座を奪取している。

 92年に団体が崩壊するとLLPWの旗揚げに参加。神取、風間ルミ、イーグル沢井ら強烈な個性を持つ選手の間でも、職人的存在として団体を支えた。93年から対抗戦ブームに突入すると、他の選手のサポートに徹したが、同年には全日本女子プロレスの「ジャパングランプリ」に他団体選手として初参戦。優勝した北斗晶との公式戦では敗れるも実力を見せつけた。

覆面戦士・カルラとしての顔も
覆面戦士・カルラとしての顔も

 95年11月には覆面レスラー「天界二十八部衆カルラ」に変身して沢井からLLPWシングル王座を奪取。99年8月には素顔で神取から再び王座を奪取。神取に勝てる数少ない実力者だった。

 2010年に子宮筋腫と診断されて長期欠場。12年12月29日に引退試合を行い、その後は飲食業に専念するも、16年に食道がんを患い同年12月15日、48歳の若さで亡くなった。誰からも慕われる人格者で後輩の面倒見もよく、コーチ役としても団体を支えた。病気さえなければまだまだ活躍できる名選手だっただけに、今でも心から急逝が惜しまれる。(敬称略)