148センチ、45キロの超小柄なサイズながら、卓越した運動神経と抜群のプロレスセンスで“小さな巨人”と呼ばれたのが、コマンド・ボリショイだ。
正体不明のマスクウーマンとしては世界最長記録を誇っているが、実は素顔は“超美人”との説もある。自由自在に相手の体の上をクルクル回って関節を決めるサブミッション技術は女子プロレス界でも1、2を争うほどだった。
1991年11月25日のジャパン女子鳥取大会でボリショイ・キッドとしてデビュー。同団体が解散すると、新たに旗揚げしたJWPに合流。92年6月29日のJWP後楽園大会で新たにリングネームをコマンド・ボリショイに変えて再デビューを果たす(対小林美津恵、桑原三佳組戦、パートナーはキューティー鈴木)。入場時に一輪車に乗って会場にお菓子をばらまくパフォーマンスは団体の名物でもあった。
JWPの明るいプロレスの象徴でもあったが、実力は本物だった。96年には尾崎魔弓と伝説の「ドレスアップワイルドファイト」で大流血戦を展開。マスクをはがされる屈辱を味わいながら「怖いボリショイ」の一面を見せつけた。
タイトルを得た時期は意外に遅く、99年1月15日にはカルロス天野とのコンビでJWP認定タッグ王座を獲得。同王座はパートナーを替えながら、通算6回も獲得している。2000年8月6日には輝優優を破り、団体の象徴であるJWP認定無差別級王座を初戴冠した(15年にも獲得)。
またボディービルにも熱中し、15年5月にはNPCJ主催のボディービルコンテストに現WWEのセンダイガールズ・里村明衣子と出場。3位に入賞した。指導者としての能力、選手からの信頼度は高く、17年にはJWPのプロデュース会社が終了するため、全選手を引き連れて「ピュアJ」を設立。8月11日後楽園で旗揚げ戦を行った。
その後もピュアJ認定無差別級王座、仙女のワールドジュニア王座を獲得するなど活躍を続けたが、難病である黄色靱帯骨化症の症状が悪化したため、惜しくも19年4月21日後楽園で現役生活にピリオドを打った。現在は覆面社長として団体を支えつつ、選手の育成に励んでいる。













