【赤ペン! 赤坂英一】先週18日の黒田博樹氏の野球殿堂入り通知式で、山本浩二氏のゲストスピーチが出席者の笑いを誘う一幕があった。
黒田氏が2008年に移籍したメジャーで新たな変化球を習得したことに言及。「何とかドアっていうのかな。何ドアだっけ。バックドア。あんなボール見たことがなかった」とやったのだ。
そう話した山本氏は、01年に2度目の広島監督に就任。この年、黒田氏に初の2桁勝利(12勝)を挙げさせた。黒田氏は「エースの心構え、責任、たくさんのものを学ばせていただいた。その教えが20年間、最後まで私の原動力になりました」と山本氏への感謝を述べた。
この01年、黒田氏は完投も13とリーグ最多を記録。「少々のことではなかなか(山本監督に)マウンドを降りることを許してもらえません。苦しかったですが、あの経験が40歳まで第一線で投げ続けられた要因です」と振り返った。
そこで思い出されるのが03年、阪神にFA移籍した金本に代わり、山本監督が新井(現監督)を初めて4番に抜てきした時のことだ。開幕から4番を務めながら、再三チャンスをつぶして打率2割台前半に低迷。チームもBクラスに沈んだままの中、山本監督は計71試合、新井を4番から外さなかった。
この年の7月半ば、山本監督は旧広島市民球場の監督室に新井を呼び「お前の今の気持ちはよう分かる。ワシにもそんな時があったよ」と声をかけると、新井はその場で号泣したという。その日から山本監督は4番を外国人に代え、じっくり時間をかけて主砲教育を施す方針に切り替えたのだった。
レジェンドOBの前田智徳氏も、現役時代に山本氏の薫陶を受けた。1995年、右アキレス腱断裂の手術を受け、長らく慶応病院に入院。その最中、初めて自分から山本氏に電話をしたと、前田氏は私のインタビューで明かしている。
「山本浩二さんに勇気を振り絞って電話したんですよ。歩けるようになりましたんでメシに連れて行ってくださいと、ただそれだけ言うのにどれだけ緊張したか」
その後、山本氏は前田氏にすしや焼き肉を食べさせて励ました。「あの時は本当に救われました」と前田氏は言う。
山本氏のほうは「そんなこともあったな。かわいいやつだと思った」と笑っていた。そんな優しさと厳しさを兼ね備えた“浩二イズム”は、今もカープに脈々と受け継がれている。












