【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(7)】1979年3月5日の全日本プロレス千葉・館山市民センター大会。俺は薗田一治さん(後のハル薗田)を相手にデビューした。入門から8か月だ。シリーズ開幕戦が後楽園で、トイレでジャイアント馬場さんに「明日やれ」と、急に言われた。でも、実は入門2か月くらいで若手のバトルロイヤルに出ていたんだ。

小鹿(中)の指導は厳しかった。手前が越中、右奥が三沢(81年4月)
小鹿(中)の指導は厳しかった。手前が越中、右奥が三沢(81年4月)

 試合前にグレート小鹿さんが会場をグルグル回ってスポンサーを探すんだよ。お金持ち風の人がいたら、小鹿さんが「若手のバトルロイヤルやるんだけど、3万でも5万でも出してくれない」って声をかける。それでOKが出ると、急に取組表にバトルロイヤルが入る。小鹿さん、そういうのうまいんだよね。

 デビュー戦のとき、まだ自分のクツ(シューズ)は作れなかったので「クツがないです」と言ったら馬場さんが「最初のクツは俺が出すから」と言ってくれたけど、間に合わないから百田義浩さんのを借りた。コスチュームは外国人選手に星のついたトランクスをはいてるやつがいて「一つ余ってないか?」と言ったら快く貸してくれた。

 試合は何も覚えてないね。何もできずに終わったから。それ以降は試合を組んでもらうようになった。でも、ちょっとしたら渕正信さんも薗田さんも大仁田厚のオッサンも海外に行ってしまったので。林幸一さん(ミスター林)、百田兄弟(義浩&光雄)、伊藤正男さんらベテランの方ばかりになった。

 後藤政二(後のターザン後藤)もデビューまで時間がかかったんだよ。1年くらい。三沢なんか5か月でデビューだからね。で、後藤が試合をできるようになって、三沢が出られるようになって、冬木弘道とか入ってバラエティーに富んだ試合が組めるようになった。

 先輩の洗礼もあったな。グレート小鹿さんや大熊元司さん、ザ・グレート・カブキさんは大先輩だからね。小鹿さんなんか、わざとガーン、ダーンって頭突きをやってくる。何回「ふざけんな!」って思ったか。だから今、俺とはやりたがらないんだよ。この前、試合をやったとき「コノヤロー、よくも昔はやりやがったなっ!」って思い切り蹴っ飛ばしたら「おうおう、やめてくれ!」って言ってた(笑い)。

 昔の人はめちゃめちゃな生活をしていたけど、試合は絶対に休まなかったし、夜中に酒を飲んでも平気な顔してやっていた。馬力はすごかったね。今と違って試合数も多かったし、移動も大変だったわけじゃない。空港に行ったり駅へ行ったりして。そう考えると今の選手は幸せだよ。個室があって自分の時間があるから。俺のときはプライベートがないからね。

 試合会場に行けば同じ控室で、帰ると大部屋で宴会が始まるとえらいことになる。特に俺の場合は馬場さんの付け人を務めたんだけど、それがまた大変で…。