【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(4)】1978年7月に全日本プロレス入門を果たし、東京・世田谷区砧の合宿所で寮生活を送るようになった。寮長はジャンボ鶴田さん。何週間か練習した後「シリーズについてこい」と言われた。開幕戦は鹿児島。飛行機に乗ったのも初めて。まだジャージーをもらってないから古着をもらって「これを着てセコンドに就け」って言われてね。

越中(右)の同級生が応援に。鶴田も写真に入ってくれた(本人提供)
越中(右)の同級生が応援に。鶴田も写真に入ってくれた(本人提供)

 道場からジャンボさん、薗田一治さん、渕正信さん、俺の4人はタクシーで羽田空港に向かった。そうしたら降りるときにジャンボさんが「じゃあ、割り勘ね」って言い出したんだ。「えっ?」って思ったよ。俺は練習生でまだ給料をもらってないのに、1000円だか2000円だか取られたから…。

 ジャンボさんは寮長だったけど、ほとんど寮にはいなかった。(小指を立てて)いろんな人の家に行ってたんじゃない(笑い)。とにかくもてたから。道場だけで日に30通、六本木の事務所には段ボールでファンレターが届いていて、アイドル歌手並みだった。

 後に三沢光晴や川田利明が入ってきてジャンボさんが寮を出ることになり、俺が寮長の部屋に移ることになった。寮長の部屋にステレオがあって当然「置いていくよ」と言うのかと思ったら「越中くん、このステレオ、1万円ね」って…。「わかりました」と言ったけどさ…(笑い)。

 あと寮の各部屋には電話が置いてあった。ある日夜、突然ジャンボさんが来て「越中くん、今日からピンク電話(※)にするからね。げた箱の上に置いておくから10円入れてね」って、各部屋の電話は全部撤去。NTTが取り付けるんじゃなくて本人がピンク電話を持ってきたんだから。口があんぐりだよ。

 寮の電話代を節約するためだろうけど「ケチだな」という雰囲気にはならない。こっちも笑っちゃうみたいな感じだった。それにしても、練習時間に来ないで、こんな時間に来るなんて…。来る前に一本くらい電話してくれればいいのにね。

 当時は巡業が終わると六本木の事務所に行かないといけなかった。俺は前借りしてるから給料はほとんどないんだけど「シリーズが終わったら顔を出すもんだ」と連れていかれた。そうしたら各選手の給料袋が束で置いてあって一つだけ立ってるのがジャンボさん。俺なんか5000円もない。そんだけもらっている人が何でピンク電話持ってくるのかな?

 ただジャンボさんも大変だったと思う。馬場さんのパートナーとしてトップにいたけど、グレート小鹿さんたちを飛び越しちゃってるわけだから。だから宴会になるとジャンボさんは顔を出さないようにしていた。そうそう、宴会となると小鹿さんなんだよな…。 

※ 特殊簡易公衆電話の通称。色がピンクで飲食店に多く設置された。