【越中詩郎GET BACK~反骨のサムライ血風録~(5)】

 1978年の入門当時、身長は185センチあったけど体重は85キロくらいだった。ジャイアント馬場さんには「早く100キロにしろ」って言われていた。後に付け人になっても「100キロになったら海外遠征に行かせる」と言われ、これがまずプロレスラーにとって一番の関門だった。

 でも…太れないよ。練習して移動して年間200試合はあったし、気を使うしで。当時は巡業に行くと、今のようにビジネスホテルじゃなくて旅館だった。半数以上の先輩は(スポンサーに)お呼ばれされるから「俺の分も食っとけ」と、どっかに行っちゃう。だから先輩たちの料理を平らげた上に「おひつでご飯ください」って食べていた。

宿舎で過ごす越中(奥)。左端は三沢光晴(81年4月、徳島市内)
宿舎で過ごす越中(奥)。左端は三沢光晴(81年4月、徳島市内)

 馬場さんたちは個室だけど、俺らが寝るのは大広間。宴会が始まったらその日は寝られない。熊さん(※1)とかその町、その町でスポンサーがいて、ビールとかの差し入れがある。1ケースに20本の大瓶が入っていてこれが何ケースか。熊さんはビール3ケースくらい平気だから、とにかく熊さんと小鹿さんがいると大騒ぎになる。

 でもね、差し入れがないと宴会は始まらないんだよ。自分らでカネは出さないから。「大熊さん、ビール買ってきましょうか?」って言うと「いや、いい」って(笑い)。旅館の酒は高いから。差し入れがないと隅っこで飯食って「じゃあな」って寝ちゃう。俺的には差し入れがないほうが良かったわけだよ。なのに気を使って差し入れしてくれる人がいるんだよなあ。ビールだけじゃなく日本酒、ウイスキーを持ってきて「どうぞ飲んでください」って。「余計なことすんじゃねえよ、コノヤロー!」だよ。

 酒がなくなると夜中の3時、4時に「酒屋を起こしてビール買ってこい!」だから。「ありません」と言うとぶん殴られた。「小鹿コノヤロー、いいかげんにしろ!」って言いたくらいだった。こっちは布団敷いて寝たくても、まだ宴会やってるから。これじゃいくら食っても太れないって。

 シリーズ開幕戦の前日も地獄だった。午前10時くらいから軽い練習をして、ちゃんこ会みたいのがあるんだよ。そこで暴れるのがやっぱり熊さんたち。寮の応接間とかめちゃくちゃにするから、片付けるのが大変でね。熊さんなんか自分が履いてきたブーツをトイレと間違えて小便をし出すし…。もう知らないって。練習もきついし、そういう人間関係で頭がおかしくなりそうだった。

 あるときはもらったジョニ黒(※2)があって、一気で飲めって。「俺は力道山にこれを一気飲みさせられた」って言うんだけど「力道山なんて知らないよ、こっちは」だよ。そこで急性アルコール中毒にならなかったのが不思議だよ。まあ練習、試合以外の強さもないと残れない世界だったということだよね。 

 ※1 大熊元司、大相撲出身。グレート小鹿と「極道コンビ」を結成。

※2 高級ウイスキー「ジョニーウォーカーブラックラベル」。