【平成球界裏面史 近鉄編29】平成25年(2013年)は中村紀洋にとって忘れられないシーズンとなった。5月5日、ナゴヤドームに招待した家族の前で日本通算2000安打を達成。6月30日の中日戦では山本昌から通算400本塁打も記録した。シーズン通して122試合の出場で打率.281、14本塁打、61打点とベテランとして安定した成績を残した。
だが、そのオフから雲行きが怪しくなってきた。FA権を所持していた中村は球団から10月下旬に下交渉の席を用意された。ベテランに対し相応の条件が示されるものかと思われたが、中村が納得できるような条件ではなかった。
さらに、日本シリーズ終了までにという極めて短い期限を設けられ、球団提示額でサインをしなければ来季の契約を結ばないという“恫喝交渉”を持ちかけられたのだ。
戦力外をちらつかせ、選手に不利な条件で強引な契約を迫る手法。これは当時、球界でも物議を醸した。
加えてDeNAは中村とポジションの被る三塁を補強する動きに出た。オリックスで正三塁手だったアーロム・バルディリスを一軍確約契約で獲得。次世代の若手を育成し、三塁を競わせるならまだしも、中村の心中は穏やかではなかった。
そして2月にスタートしたキャンプではもちろん二軍組。その後のオープン戦でも一軍の試合に呼ばれることはなかった。これはベテラン特有の「お任せ調整」というわけではない。
前年度の成績からみても順当ではない扱いに、他球団の編成スタッフらから「なんでノリは出てこないの?どっか故障でもしているの?」と調査が入ったほどだ。
当時の中村の心にはこんな思いが駆け巡っていた。「自分は必要とされていないのか。悪くは思いたくないが意図的に排除されている気持ちになる」。それでも所属球団のない辛さを知る中村はじっと耐えた。
当然、開幕は2軍スタートとなった。だが、開幕直後にトニ・ブランコの故障離脱で戦力不足に陥り、中畑清監督から直接電話が入り急きょ1軍昇格。そこから13試合で10打点と役目に徹した打撃に努めていたのだが、5月6日の巨人戦でまた事件が起こった。
1点リードの八回無死一塁で打席には中村。この場面で一走・梶谷が激しく動きスタートを切った。中村は強引に打ちにいき三塁ゴロ併殺。この際、首脳陣に「場面によっては走者を動かさず、打席に集中させてほしい」と相談したところ、チーム方針に従わないとされ登録抹消となった。
同様の中村の言動は楽天時代に1度、DeNAに移籍してからも1度、発生していた。そして、今回の事件が決定的な一打となった。今現在程ではないが選手個々がSNSアカウントを所持し、メディアを通さず率直な考えを発表する時代となっていた。
納得できない中村はNPBのグラウンドには戻ってこられないかもしれないリスクを覚悟でキーボードを叩いた。
中村の投稿はわずか数時間で数十万件というアクセスを集めることとなった。

















