【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(37)】僕の出身中学は現在の職場の治療院からも近い城山中ってところなんですね。そこは旧市街だったこともあって学年で9クラスほどある大きい学校でした。

 なぜか出身の有名人も多いんです。卓球の伊藤美誠ちゃん、水谷隼くんがそうなんですね。この2人は2021年に開催された東京五輪の混合ダブルスで初代金メダリストになりましたからね。続いて女優の長澤まさみさん、EXILEのAKIRAさんとか有名人の宝庫でしょ。

 まあそれはさておき、本当にいたずらっ子で怒られてばっかりだった僕は中学1、2年生の時の担任・鈴木紘一先生に厳しく指導されていくんですが、この先生は3年時には野球部の監督になってご縁のある方でした。本当にすごいお世話になりました。

 そこから東海大一高に進学したんですが、やっぱり地獄でしたね。みなさんのイメージではPL学園みたいな世界ですかね。僕が入部したころで言うと、1983年に春のセンバツでベスト4だった学校なんですね。

 杉本兄弟って双子の投手がいて、藤王康晴さん擁する愛知・享栄に勝っての4強ですからね。夏の甲子園では桑田真澄さん、清原和博さんの「KK」コンビが1年生だったPL学園に3回戦で敗れましたが、強かったですね。

 東海大系列の特徴であるタテジマのユニホーム。これをみんなが着たくてね。レギュラーしか着れませんからあこがれましたね。最初は同学年で30~40人は部員がいましたが、最後には半分くらいになるわけです。当時はまだ先輩からのいろいろな理不尽もありましたしね。

 何かあったらすぐ五厘刈りでした。まだ髪を切るぐらいならマシでしたね。本当はダメなんですが、まだ体罰も当たり前の時代でしたね。

 そんな中で僕は1年生の春に背番号18番をもらってベンチ入りしているんですよ。普通は強豪校で春に新入生が背番号なんてあり得ないんですよ。つまり入学時点で野球部自体が勝ち進んでいて、誰かがメンバーから外れて1年生を登録したということですから。3月に中学を卒業して野球部の寮に入寮して、その次の日に投げてますからね。

 僕は中学時代、そんなに大した成績を残してないんですよ。県大会出場くらいの実績です。

 今、僕自身が高校野球の指導をしていますが、1年生の春に背番号というのは異例であることがよくわかります。

 大みそかと三が日の4日間だけ休みで、それ以外はずっと野球漬けでした。学校のグラウンドがあって野球部のグラウンドがあって、敷地内に野球部の寮がある環境です。外出禁止ですしね。お盆休みもなし。週1休養日なんて発想はまったくなかったですね。

 ただ、指導者として改めて考えると、野球選手を育てるというより人間を育てるためには、それぐらいやった方がいいんじゃないかなと思う自分もいます。多少のがまんや理不尽も社会に出たら経験するものとも思いますが、考えが古いんですかね。

 そんな中、僕は2年の秋にはエースとして県大会決勝まで勝ち進みました。そのころにはプロのスカウトが見てくれていました。巨人のスカウトだった河埜和正さんはテレビでショートを守ってるのを見てましたから印象に残っていますね。ただ、甲子園の舞台は遠かったんですね。