【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(33)】中日に移籍して2年目となった2001年、僕は故障のため一軍登板ゼロのままシーズンを終えることになりました。自分でもこのタイミングで野球を辞めようというふうに思っていました。

 でも、そのシーズンオフです。愛知県犬山市にある日本モンキーパークに家族で出かけていたときに、僕の携帯電話が鳴りました。まだ小さかった娘も一緒にいたのを覚えています。

 電話の主はヤクルト時代の先輩でもある尾花高夫さんです。当時は王貞治監督の下で投手コーチをされていました。
「王さんが『お前のことがほしい』と言ってくれているんだ。まだ投げられるか」

 当時の王監督には僕のいい時代の印象が残っていたのだと思います。ダイエーの主力の右打者でいえば小久保裕紀、井口資仁、城島健司、秋山幸二さんあたりには、あまり打たれていなかったはずです。

 いや、城島だけは訂正しておきます。彼だけは正確に言うと抑えられない時もありました。それはすなわち、彼自身の調子がいい時はもう何をしても抑えられないタイプのバッターでしたから。

 ダイエーにお世話になることになって、王監督が周囲にあまりにも気配りされることに驚きました。こんなに気を使われる人なんだと。これは胃を悪くされるわけだと納得したほどです。

 でも、そんな王監督と違って大胆な男もいました。その男は城島と言います。僕がキャンプ中、ブルペン投球していた時です。王さんが打席に立ってくれたんですよ。捕手が城島だったんですが、思い切りインハイにミットを構えるわけですよ。

 そんなの投げられるわけないじゃないですか。本当に。城島よ、何を考えてるんだって話ですよ。

 それにしても、左打席に入った王さんは雰囲気がありましたよ。われわれ世代は現役時代を知っていますからね。一本足打法ではなく、普通に両足で打席に立たれていましたが「ああ、あの王貞治が打席に立っているんだ」と内心ドキドキしたことを覚えています。

 王さんが行くところには、いつも大量の差し入れが持ち込まれます。その土地、その土地でいろんな方々に慕われている証拠です。本拠地の福岡ドームにも王さんのゲストの方々がたくさん来場されます。

 ある時の試合前です。さっぱりしたものを口に入れておきたいなと、ロッカーを通りかかったところで王さんに声をかけられました。

「これ、差し入れでいただいたカレーパンなんだよ。おいしいから食べてみろ」

 本当はさっぱりしたものがよかったのですが、王さんのご厚意をむげにする選択肢などありません。もちろん、ありがたくいただきました。

 そんな王監督とも一緒に野球をさせてもらえたのは1シーズンだけになってしまうんです。キャンプ、オープン戦を経て02年パ・リーグ公式戦に臨みますが僕には余力がわずかしか残っていませんでした。