【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(31)】軍隊だと表現されることもありました。星野ドラゴンズです。本当にいろんなエピソードがありましたが、何から話しましょうかね。

 1999年にそれまで守護神だった宣銅烈さんが退団して、中日としては抑え候補を探していた時期だと思います。

 僕にも救援投手としての経験があるわけで、一定の期待をしていただいていたと思います。

 ただ、シーズン中にぎっくり腰をやってしまうアクシデントもありました。球団トレーナーについてもらってストレッチをやっていたんですが、そのタイミングで症状が出てしまったんです。

 でも、これをトレーナーの責任にしてしまうわけにはいかない。とはいえ、首脳陣には報告をしないといけないわけです。結果的には僕がぎっくり腰で罰金という形で収まりました。

 僕が処置室で横になってアイシングを施してもらっていたら、当時から体調がよくなかった星野監督がよりによって隣のベッドに来られました。
 本当に体調が悪かったのでベンチ裏では点滴を打ちながらとか、星野監督は実際にそういう状態でした。

 で、隣のベッドから星野監督が僕に言うんです。「お前が投げられへんかったから負けたやないか。罰金もってこい!」って。星野監督に対してノーはありません。本当に現金で収めさせていただきました。

 ただ、周囲の方々からは慰めの言葉もいただきました。星野さんは厳しい半面、結果を出した時にはドーンとお返しをしてくれると。殊勲選手には高級腕時計をポンとプレゼントするというのも有名な話です。

 ただ、その当時の僕自身にもう余力が残っていませんでした。21試合に登板し1勝1敗、防御率3・86。星野監督にご褒美をいただけるような活躍で、恩返しすることはできませんでした。

 そんな星野監督ですが、僕は一度だけ謝罪されたことがあるんです。ブルペンで投手交代を待っているタイミングでした。ベンチとの電話では次は僕が登板ということで、スタンバイしていました。

 すると場内放送では「ピッチャー・ギャラード」とアナウンスされているではないですか。自分も投げる気でいましたが、これはもう放送しちゃってるし訂正、変更はできません。

 ギャラードが緊急登板ということになりました。試合後、星野監督から「悪かったなあ」と謝っていただきました。

 その様子を見た山本昌さんは「星野さんが謝っているところなんて初めて見たぞ」とおっしゃっていたのが印象的でしたね。

 試合に勝つと「みんなありがとう」とねぎらってくれますが、負けるとそこまで言っちゃうのというくらいの叱咤を受けます。

 あの当時ですでに150勝以上を挙げていた山本昌さんでも、星野監督からすれば若手扱いでしたしね。捕手の中村武志さんに至っては“鉄拳制裁”がない日を数える方が簡単だという話でしたもんね。

 その後は阪神、楽天でリーグ優勝、日本一を経験され日本代表監督も務められた名将。星野仙一監督の功績をたたえる人々は多く存在します。

 理想の上司に名前を挙げる方も多くいると聞きます。しかし、そんな方々に言いたいことがあります。じゃあ、実際に部下になってみなさいって! 怖いから。