【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(30)】ヤクルトでの7シーズン、オリックスでの5シーズンを経てトレードで3球団目の中日ドラゴンズへ移籍しました。

 この時期はオリックスでやり切ったような気持ちもありつつ、また新たな違った環境で頑張ろうという気持ちもありました。

 そして僕にとって久々のセ・リーグ復帰です。それもヤクルトの野村ID野球とはまた違った個性、闘将・星野仙一監督が率いる中日ドラゴンズですからね。これはこれでまた「すげぇ野球」です。

 1987年から91年は星野ドラゴンズの1次政権です。今となっては死語ですが「鉄拳制裁」が普通だった時代です。僕自身、ヤクルト時代に相手ベンチで怒鳴り散らしている星野監督を何度もベンチから見ていましたから。

 オリックス時代にはオープン戦で遭遇した経験がありました。当時、山田久志投手コーチと星野監督が懇意にされていたため、ブルペンを見にこられた時があってごあいさつをさせていただきました。

「おう。お前、いいピッチャーになったやないか」と声をかけていただいたことを今でも覚えています。

 僕にとってはめちゃくちゃ楽しかった仰木マジックです。本当に野球がめっちゃ楽しかった。それが今度はマジ軍隊な球団です。僕が加入したのは96年から01年の2次政権ですが監督がシロといえばシロ、クロといえばクロの軍団でした。

 それぞれの雰囲気の違いを敗戦後のバス移動で表現してみると分かりやすいかもしれません。

 仰木さんの時はミーティングもほぼなく、試合後のバスではテレビがついていてバラエティー番組が流れている。そして、選手がゲラゲラ笑っているような、そういう空気です。

 野村ヤクルトではさすがにテレビは消されていて、監督自身も黙って乗車しているという雰囲気です。

 中日はというと指定席に星野監督が座っていて、打たれた投手は後ろの方で隠れるように着席。高橋三千丈投手コーチが決められた席に着くと、監督の第一声が「辞表持って来い」みたいな雰囲気です。

 高橋さんは星野監督の明治大の後輩ですからね。ブルペンにまで怒鳴り込んで来られて、コーチなのに“鉄拳制裁”を受けていたはずです。明らかにそんな様子で「大丈夫だ。俺はいいんだ」と話されていたことを思い出します。

 当たり前の話ですが、オリックス時代の仰木監督がブルペンの山口高志コーチに対して怒鳴り込んでくることなんて考えられませんしね。

 そういえば関西遠征で定宿にしていた芦屋竹園ホテルで、敗戦した試合に登板した投手が全員、呼び出されたことがありました。

 そして「お前ら、なんで当てへんのや!」と、もはや放送禁止用語で一喝です。もちろん、故意に死球を与えろという意味ではありません。それくらいの気迫で攻めの投球で向かっていけという意味なのは分かります。でも、めちゃ怖かったです。