【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(25)】自由すぎるオリックスでの野球生活。移籍からわずか1年ですっかり仰木マジックに染まっていました。
移籍2年目の1996年からは自主トレで星野伸之さんに合流させていただきました。愛媛県の新居浜で体をいじめ抜いたと言えばかっこいいんですがね。ずっとゴルフばっかりしていましたよ。
96年のキャンプ初日だったかな、いや、97年だったかなあ。ちょっと記憶があいまいなんですけど2月1日のお昼の12時には、ゴルフ場のティーグラウンドに立っていたことがありました。
主力投手陣は最初、二軍調整だったんです。そして練習が始まるじゃないですか。アップして、キャッチボールやって「帰るぞ~」となって、そのままゴルフ場ですよ。
前の組には阪神元監督で名球会の藤田平さんがいらっしゃいました。僕たちの顔を見て「ええっ」ってビックリしてましたもんね。
そういうのがチーム内でまかり通っていましたもんね。当時は主力投手が2月1日からバンバン投げるということはなかったですが、あの時点で僕はまだ27歳くらいでしたからね。キャンプ初日の昼イチでゴルフはなかなかですよ。
そのころですよ。オープン戦が静岡の草薙球場で行われたことがあったんです。僕は静岡出身ということもあり、先発で2イニングを投げさせてもらいました。
そしたら試合後ですよ。当時、仰木監督付広報だった横田昭作さんが「監督がご実家のお店に行くと言っているんで連絡しておいてくれ」と言うじゃありませんか。
僕の実家は県内でも西部に位置する磐田市です。静岡は横に長い県なんですよ。草薙球場のある県中部の静岡市内からだと磐田までは高速道路を使っても1時間はかかるんですよ。
仰木監督は「お前の代わりに行ってくる」ってノリで、当時の番記者の皆さんを引き連れてタクシー4台のご一行で来店していただいたということです。
とはいえ、僕の父が経営していたお店の営業形態はいわゆる「スナック」です。そんな大勢がくつろげるスペースもなかったと思うんです。
そうするとお店にはポンと10万円ほど置いて、うちの両親と監督とで食事に行ったそうなんです。
その間、静岡から来たタクシーもメーター入りっぱなしで、何だったら食事も振る舞ってんじゃないですかねえ。仰木さんのことですから。
それで最終的には静岡にタクシーで戻っていったわけですもんね。なんて表現すればいいのか、すごいとしか表現できないですよね。本当にカッコよかった。
もちろん優しいだけではなく、非情な一面も持っていたと思います。全員に同じ接し方ではなかったかもしれません。でも、僕には優しく褒めた方がいいと判断したんだと思います。
山田久志、山口高志両投手コーチにも怒られたことがないんですが、仰木監督からそういう指示が出ていたのか。何せ僕にとって仰木監督は最高にカッコいい監督でした。












