【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(26)】ヤクルトからオリックスへの移籍1年目、1995年は主にセットアッパーとして50試合に登板し、リーグ優勝を経験。96年にはシーズン途中からクローザーとしてリーグ連覇、日本一を達成することができました。
95年は前年まで所属していたヤクルトが日本シリーズの相手となり、意識しないわけにはいきませんでした。ヒットを1本も打たせないという気持ちで臨みました。
本番では3試合に登板。実際に1安打も許すこともなく結果を残すことはできました。ただ、チームはヤクルトに対し1勝しか挙げることができず、敗退という結果になりました。
やっぱり悔しかったですね。目の前で胴上げを見せられて。これは日本シリーズに勝たないとダメなんだなと強く感じたのを覚えています。
96年シーズンは、前年の独走状態とは違い夏場までは日本ハムを追いかける立場にありました。7月終了時点で4ゲーム離されていましたが、不思議とあせりはなかったですね。
やっぱり95年に優勝を経験しているという事実がものすごく大きかったですね。神戸のファンの前で優勝をという気持ちももちろんありました。日本シリーズに出場するんじゃなくて、勝たないとダメなんだという思いや、自分たちも力をつけたという自信もありましたし、マイナスな考えはなかったですね。
8月から一気に追い上げ、追い越して9月23日にはグリーンスタジアム神戸でリーグ優勝を決めることができました。当欄第1回でもお話ししたように、僕は8回に逆転打を打たれてしまいましたが、仲間の粘りのおかげで乱戦を制しました。
神戸での胴上げを達成し、最後の目標は日本一。日本シリーズに勝ちたい思いで、セーブ王のタイトルもあきらめ、リーグ優勝決定後は登録抹消してもらい調整に努めました。
頂上決戦の相手は最大11・5ゲーム差を逆転した「メークドラマ」でセ・リーグを制した長嶋巨人です。準備万端で臨んだつもりでしたが、シリーズ初戦で僕はつまずいてしまいました。
2点リードの8回から登板し、そのイニングは無失点。回またぎで9回も続投し、先頭の福王昭仁さんに四球を与え、続く代打・大森剛さんに同点2ランを許してしまいました。実は大森さんとはヤクルト時代にイースタン・リーグで対戦していた時代から相性最悪だったんです。
まさに、こっちが何をやってもタイミングが合ってしまうバッターでした。仰木監督にもこの事実は話していたんですが、大切なシリーズ初戦の大事な場面で打たれたことに変わりはありません。
延長10回にイチローが巨人・河野博文さんから決勝ホームランを打ってくれて勝ち越し。その裏、平井正史が走者を背負いながらも無失点に抑え試合には勝利しました。結果的には僕は勝利投手です。チームとしては初戦を取れた事実は非常に大きかったと思います。
ですが、実は僕はこの登板でヤバい事態に陥っていました。プロ2年目に初完投初完封を達成したあとの感覚に似ている。嫌な思いが頭をよぎりました。












