【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(27)】1996年は念願の神戸のファンの前でのリーグ優勝を達成。日本シリーズ制覇も経験する素晴らしいシーズンとなりました。

 ただ、道のりは平坦ではありませんでした。「メークドラマ」を成し遂げて日本シリーズに進出してきたのは長嶋巨人。投手では斎藤雅樹さん、槙原寛己さん、ガルベス、打線では松井秀喜、落合博満さんらを擁する強力布陣でした。

 そして第1戦の9回に僕は代打・大森剛さんに同点2ランを浴びる結果に。その後、チームは勝利したのですが、その登板で僕は左脇腹を痛めてしまいました。

 2年目にプロ初完封した時に同じ場所を痛めていて、やばいな、あの時と似てるなと感じたのを覚えています。

 まだ、あの当時よりは軽症でした。それでも、神戸で日本一をと言っている雰囲気の中で自分が離脱なんて絶対にダメだと思い、内緒で翌日のグラウンドに入りました。

 第2戦は2点リードの9回二死一塁で落合博満さんを迎えた場面での登板です。ここは何とか、違和感を抱えながらも三ゴロに抑えてセーブを挙げることに成功しました。

 しかし、投げることはできても違和感は取れない。第2戦の後、山田久志投手コーチに相談して、翌日の移動日を利用してブロック注射を打ちにいきました。

 これが当たってくれたんです。山田さんには「何とかいけます」と報告しました。第3戦は9回に登板し1回無失点でセーブ。第4戦を落とすも、第5戦で歓喜の瞬間が訪れることになります。

 この試合では3点リードの8回から登板しました。もうこれが最後なんだと思って目一杯腕を振りました。グリーンスタジアム神戸は満員でした。9回二死、仁志敏久を左飛に打ち取った瞬間、「がんばろうKOBE」が完結しました。

 シリーズでは松井秀喜に対しては左腕の野村貴仁さん、落合博満さんには僕が徹底して起用され、巨人の主軸を抑え込むことに成功しました。

 シリーズ前に山田投手コーチから「落合は故障明けで長打はないから大丈夫だ」と声をかけられていました。今思えば少しでも気楽にマウンドに立てるよう気を使ってくれたんでしょうね。

 95、96年の2年間で105試合、133イニングを投げました。疲労が蓄積していたのでしょう。本当にもう疲れ切っていました。喜びはもちろん大きかったですが、ようやく解放されるという感覚でした。

 当時の優勝の映像を見るとわかりますよ。歓喜の輪の中心で大喜びしているのではなく、後ろの方に僕がいるんです。それだけ責任を感じながらやってきたんだと思います。

 第4戦以外の4試合に登板し1勝3セーブ(シリーズ記録の4セーブポイント)です。数字を見ればMVPでもよさそうですよね。でも、実際のMVPはシリーズ2安打のニールでした。初戦の同点2ラン被弾の印象も悪かったんでしょうね。

 でも、過去には日本シリーズで2勝2セーブでMVPを取れなかった選手もいますからね。これは78年のヤクルト・松岡弘さんなんです。僕がプロ入りした時、初めて指導してくれた二軍投手コーチです。何だか不思議なご縁だと思いませんか。