【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(35)】僕はダイエーでのプレーを最後に2002年で現役を引退しました。全てのアスリートに言えることですが、引退した後の人生のほうが長いわけです。僕が選んだのは治療家になる道でした。このタイミングでNPB時代に最もなじみのあった神戸に帰り、現役時代にもお世話になっていた治療家の先生のもとで、ここから修業の日々が始まります。
一日が終わるのは夜の11時とか12時でした。日中は鍼灸の専門学校に通って5時に授業が終了。そこから午後6時に師匠の治療院でお世話になる感じで、技を一つひとつ学んでいきました。その中で徐々に本当の患者さんを相手に施術をさせてもらうようになり、診療時間が終わったら再び師匠に指導してもらう毎日。僕はまず専門学校を卒業するまでの最短の3年間で何とか治療家として自立できるよう必死に努力しました。
こういう施術の世界には、技術が高い低いという概念も存在します。ただ、僕が重要だと感じているのは患者さんと施術する側の相性です。まず考えるより動き、ダメなら修正する。師匠も元々、空手出身で少林寺拳法など武術に造詣の深い方で「体で覚えなさい」というタイプでした。医武術ですね。体を治す方法と壊す方法は表裏一体。おかげさまでいろんな術を学ばせていただきました。
ただ、専門学校には18歳の生徒もいて、30歳過ぎの僕は年寄りなわけですよ。記憶力も衰えているし、大変でした。400ものツボとその名前、経絡、筋肉何寸とか、なかなか頭に入ってきません。同じクラスの子にもバカにされるわけです。覚えてないの? さっきやったところじゃん…みたいな感じで。幸い、僕は学生時代に勉強をしてこなかったので、頭の中は真っ白でした。なので資格取得のための勉強の色に塗り替えるのは容易でした。
治療家としての勉強を進めるほどに体感したことがあります。今の勉強を野球選手の時にやっていれば、もっと活躍できたのにな…と。この筋肉ってこういうことだったんだ。だったらこう使えばという発想が湧き上がっても、もう僕はプロのマウンドにはいません。
実際、現役時代の僕は左打者の内角に投球できなかったんです。厳密には内角に投げている時もあるんですが、それはボールが行っちゃっているだけ。つまり意図的には真ん中から外にしか投げていないということです。これでは投球の幅が狭くなり、打者からすれば狙い球を絞りやすくなります。もっと理にかなった体の使い方をできていたら、こういう点も克服できていたかもしれませんよね。
現在、僕は磐田南高野球部の指導をさせてもらっています。この学校は磐田エリアでは一番の進学校なんですね。でも、専門学校時代に必死に学んだ体や筋肉の構造の分野に関しては、優秀な高校生が相手でも完全に論破できますもんね。
元プロ野球選手が開業した治療院。そういえば最初は物珍しさで来てくれるんです。飲食店も同じでしょうけど、そこから常連さんをつくるのが簡単ではない。でも、僕よりもっと大変だったのは妻です。専門学校に通うのに500万~600万円かかるんですが、その間、僕は無給。でも家賃もかかれば生活費もかかる。まだ子供たちが小さくて受験とかもありませんでしたが、生活を預かる側の妻の苦労は計り知れません。












