【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(34)】2002年が僕の現役最後のシーズンになりました。ヤクルトの先輩でもある尾花高夫さんからオフに電話をいただき、王貞治監督率いるダイエーに移籍。活躍して恩返ししたかったのですが、僕には余力が残っていませんでした。
この年は12試合に登板して1勝1敗、防御率5・25。これが僕のNPBラストシーズンの成績です。ただ、この数字はほぼゴールデンウイークまでなんです。そこまでしか持たなかったですね。
4月10日の近鉄戦でした。ここでタフィー・ローズに決勝本塁打を打たれたんです。ボール自体は悪くない、低めのシンカーです。それをものの見事に打たれました。自分としては決め球を打たれて、もう投げる球がないというふうに感じました。前年の01年、近鉄の優勝時にローズは王さんに並ぶ当時のNPB記録のシーズン55本塁打を達成。02年も117打点で打点王に輝くなど脂の乗り切った時期でした。
僕には天敵が3人いたんですね。1人目は日本シリーズでも本塁打を許した巨人・大森剛さん。2人目は南海、ダイエー、西武などで活躍された佐々木誠さん。そしてローズです。何をやってもスイング軌道が僕の投球に合ってしまう、お手上げの打者たちです。
たった1年でしたが福岡でもいろんな経験をさせていただきました。王監督はどんな状況でも確実に飛行機に乗れるという衝撃の事実も知りましたしね。
何のことかと思うかもしれないので説明します。とある地方での公式戦が中止になった時です。「中止になったんだから早く帰ろう」と王監督が言い出しました。地方からの便は本数も限られていて、週末ともなれば満席が普通です。でも、王監督が予約すると、なぜか席が確保されるんですよ。
これは有名な話で、王さんと長嶋茂雄さんはどんなに飛行機が満席でも乗れちゃうという事実。これリアルですからね。
それにしても福岡はいいところでした。自分がもっと投げられるのならあと2、3年はいたかったです。神戸が一番好きでしたけど、福岡も神戸と似てますよね。海があって山があって、空港も新幹線の駅も近い。
プロ野球選手として15年。東京、神戸、名古屋、福岡と4つの街でお世話になりました。それぞれに思い出があるんですが、自分にとっては神戸の街との関係が人生に最も影響を与えてくれたと思っています。
神戸に引っ越したのが95年1月17日の阪神淡路大震災の前日でしたしね。95年オフに結婚して翌年に娘が生まれて、震災の後で神戸の土地で自分も頑張れたっていうのもあるし、奥さんと結婚してさらに成績が良くなって縁起のいい土地です。
嫁さんは神戸でママ友たちといい関係を築いてくれていて、地元の皆さんと触れ合う機会も多かったですしね。いまだにお付き合いのある飲食店もありますからね。
そして現役を退いた僕は再び、神戸の街でお世話になることになるんです。












