【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(36)】生まれた時点でビッグベイビーだったですね。3950グラムで出生です。ただ、両親がズバぬけて大きいということはなかったですね。少し母が大柄かなという程度ですね。
小学校時代はすごいいたずらっ子でいつも先生に怒られていましたね。僕の出身の静岡県磐田市では昔、ソフトボールが盛んで、その町内の大会で優勝したりした経験は記憶にあります。
小学5年から少年野球に入団して、ここで厳しい指導者の方と出会ったのが野球選手への道につながったのかなと今は思っています。
今思えば僕は今までの野球人生の中で、小学校のころが一番練習したと思うんですよ。月曜から金曜日は夜間に特別練習に参加して、それから土日は試合をやったりするわけじゃないですか。雨が降ったら休みなだけで週7で野球漬けです。
当時、河合楽器で投手を経験された吉田さんという方が少年野球の監督で、夜いつも7時から9時まで河合楽器の選手が通常にやっているような練習をさせてもらってました。それは力がつきますよね。
僕はその吉田さんにカーブを教えてもらったんです。そのカーブの投げ方、同じカーブをプロに入っても使っていましたからね。もう40年くらい前になるんですよね。そのころから連続ティー打撃を3箱とか4箱とか打って、冬季練習のようなランニングを伴うトレーニングを課せられてましたね。
そういったメニューは当時5、6人の限られたメンバーでやっていました。自由参加ではあるのですが、ウチは父に連れられて弟と強制参加させられていました。ただ、その苦しい練習に耐えた当時のメンバーは高校進学となったとき、静岡県内の野球名門校に全員入部していきましたね。
その練習は中学時代も継続して、小5からですから都合5年間続きました。中学では軟式野球部に所属していましたが、通常練習が終わってからまた7時から9時に夜間練習ですからね。きつかったですよ。勉強なんてまったくやらなかったですね。
当時はそれでも、勉強なんてしなくて野球で高校に行けた時代でしたね。だからそれ以降、野球の練習でしんどいなと感じることは、ほぼなかったです。この5年間が本当にしんどかったですから。
順調に体も大きくなって中学時代は177センチ、高校を出るころには187センチに成長していました。その当時、実家がスナックを経営していてお客さんの中に大洋ホエールズのリリーフエースだった斉藤明夫さんもいらしたんです。
当時は草薙球場で大洋がキャンプをしていたということもあって、地元の歯科医の先生がタニマチをされていたという関係性ですね。体が大きくて雰囲気のある方でしたが、当時は怖いとか思わなかったですけどね。ただ、プロに入ってごあいさつに行ったら覚えていてくれて、やっぱり怖かったですね。当時の野球界、斉藤明夫さん、佐藤義則さん、森繁和さんの3投手といえば怖い印象しかないですよね。
今思えばそうやってプロ野球の世界にご縁があったんだなと思います。










