【取材の裏側 現場ノート】〝テキサスの荒馬〟の訃報にマット界は深い悲しみに包まれている。79歳で亡くなったことが明らかになったテリー・ファンクさん。破天荒ファイトで日本中を熱狂させたが、第一線を退いて以降は生まれ故郷で牧場主としても、らつ腕を振るっていた。今から26年前に〝テリー牧場〟を訪れた記者が、牧場主としての〝荒馬伝説〟とテリーさんの壮大な夢を振り返る。
1997年、米国出張の合間にテリーさんに会うためテキサス州アマリロに出向いた。テリーさんとは初対面。20代の若造記者を空港まで夫人の運転するダットサンでわざわざ迎えに来てくれたテリーさんはすでに赤ら顔だった。
「よく来たな。さあウエルカム・パーティーだ」。ニヤリと笑ったテリーさんは記者とカメラマンを問答無用で荷台に乗せ、クーラーボックスから冷えたビールを取り出した。歓迎パーティーの始まりだ。マット界のレジェンドはビールを片手に、ガタガタと揺れる荷台からアマリロの名所を案内してくれた。何ともぜい沢な時間だった。
テリーさんは次々と空にした缶を荷台から道端にポイ捨て。ヤンチャなガキがそのままオヤジになった印象だ。そういえば、ハンドルを握っていた陽気なビッキー夫人もバドワイザーを飲んでいた記憶が…。おおらかな時代だった、としておこう。
テリーさんの自宅は視界に入るすべてが敷地内という広大すぎる牧場だった。牧場の正式名称は「ダブルクロスランチ」。〝ダブルクロス〟とは興行界で忌み嫌われる言葉で〝二重契約〟〝裏切り〟を意味する。それを堂々と名乗るなんて、いかにもジョーク好きのテリーさんらしいネーミングだ。10年ほど前に第一線から退いていたテリーさんは牛や馬の世話をしながら、ここで余生を過ごしていた。
牛は素人目に見ても、いずれも丸々と太っており、栄養たっぷりに育てられていた。「立派な牛ですね~」と感心していると、テリーさんは「ステロイドで太らせているからね」とアッサリと告白。なんでも検査の2、3か月前にステロイドをピタッとやめれば、検査に引っかかることはないそうだ。それまではたっぷりとステロイド漬けにしてマッチョにすれば高値で売れるという。
こんな〝企業秘密〟を初対面の記者に平然と打ち明けるとはなんとも大胆というか、無防備というか…。こんな天然ぶりもテリーさんの大きな魅力だろう。とにかく、有名な外国人レスラーはプライドが高すぎて傍若無人なタイプが多かったが、テリーさんにはそれがみじんもなかった。
牧場では競走馬も育成しており、若駒を調教する立派な屋内馬場まで完備していた。「いつかここで育てた俺の馬をジャパンカップに出したいんだ」。愛馬をまぶしそうに見つめながらポツリと漏らしたテリーさんの横顔が忘れられない。
この夢を果たすことなく、テリーさんは旅立った。プロレス好きの馬主さんがいればどうか、米国産の荒馬に「テキサスブロンコ」とでも名付けて、ジャパンカップに出走させてください。天国のテリーさんがきっと喜びますから。













