【取材の裏側 現場ノート】プロレス界のレジェンドで〝テキサスの荒馬〟ことテリー・ファンクさんが、79歳で死去した。全日本プロレス時代の激闘はもちろんのこと、ベテランの域に入ると日本のインディ団体でも活躍。1995年8月にIWAジャパン・川崎球場大会で行われたデスマッチトーナメントでは激戦に次ぐ激戦を展開し、ハードコアファイターとしてもカルト的な人気を博した。
そうした中で、テリーさんにインタビューしたことがある。当時来日していた外国人選手の多くは、英語が得意ではない記者のため簡単な単語を並べて話してくれた。テリーさんも地方会場での試合前に快くインタビューに応じてくれたのだが…何を言っているのか、さっぱりわからない。「レロレロレロ…」としか聞こえず、英語が堪能な日本人レスラーに通訳を頼んだ。
すると、その選手も困惑顔で「うーん、たぶんこう言っていると思います」と自信なさげ。なまりがきつく、聞き取れないのだという。
後日に本紙OBでプロレス評論家の門馬忠雄氏に聞くと、「私にも『テキサスなまりだから』とよく言ってたよ。英語の発音のことはよくわからないけど、『あいつはテキサスなまりだから、よくわからなかっただろう』とはよく言われたね。ブロークンなプロレス用語と、テキサスなまりが一緒くたになって出てきたんだと思うよ」と解説してくれた。
その上で「とにかくテキサスとかアリゾナの人は独特。リック・フレアーが『野生児』と言われたけど、とんでもない。テリー・ファンクのほうが野生児だよ」。テリーさんは天国でも馬場さんや猪木さんを相手に、「レロレロ」言っていることだろう。合掌。
(プロレス担当・初山潤一)