〝テキサスの荒馬〟が見せていた男気とは――。プロレス界のレジェンド、テリー・ファンクさんが79歳で死去した。23日(日本時間24日)に、テリーさんが殿堂入りした世界最大プロレス団体「WWE」(米国)が発表した。日本中を熱狂させた〝不屈のテキサス魂〟をしのび、約50年前に米国でしのぎを削った大日本プロレスのグレート小鹿会長(81)が知られざる素顔を語った。
テリーさんは1944年6月30日に名レスラーのドリー・ファンク・シニアの次男として誕生し、65年にデビュー。必殺のスピニングトーホールド(回転足首固め)を武器に各地で暴れ回り、75年12月にはジャック・ブリスコを破り当時最高峰のNWA世界ヘビー級王座を獲得。世界マット界の頂点に立った。
日本でも絶大な人気を誇った。77年12月の全日本プロレスの「世界オープンタッグ選手権」で兄のドリー・ファンク・ジュニアと組み、ブッチャー、シーク組と優勝を争った死闘は今でも語り継がれている。また人気漫画「キン肉マン」に登場する「テリーマン」のモデルになったこともあまりに有名な話だ。
ベテランとなってからは、デスマッチを得意としたハードコアファイトで活躍。2014年にも来日して試合を行うなどリングに上がり続けたが、21年には米メディアなどで認知症を患い、施設で療養中と報じられていた。
そのテリーさんと、約50年前に米国で抗争を繰り広げたのが小鹿だ。73年9月から渡米し、テリーさんの本拠であるテキサス州アマリロなどで対峙した。同年10月18日にはテリーさんからNWAウエスタンステーツヘビー級王座も奪取した。小鹿は「亡くなったなんて信じられない。なんとなく自分のことのように感じるよ。1年近く、アマリロで戦っていたことが今でも昨日のことのようだ。たった1年だったが、オイラの人生において中身の濃い1年だったな」と目を細めた。
テリーさんは72年10月に全日本の旗揚げシリーズに参加。以降もレギュラー参戦していたが、小鹿はその〝お返し〟の形でオファーを受けて渡米し、テリーさんの父シニアがプロモートするイベントにレギュラー出場した。当時の戦いも踏まえ、その人となりを「最大限のパフォーマンスができる、最高のプロレスラーですよ。人間性も素晴らしかった。どんな会場でも一生懸命に試合をするから、米国でも全てのプロモーターに評価されていた。彼が他人の悪口を言うのを聞いたことがなかった」と振り返る。
〝荒馬〟の男気にも触れた。小鹿はこう明かす。「50年も前だから、まだまだ人種差別もあったんだよ。特にアマリロのような南部の地域は…。でも、彼にはそういうものは一切なかったね。俺たちは毎日のように戦っていたから普段も慣れ合うようなことはなかったけど、それでも一対一の人間として付き合ってくれて、当時のテレビ局の偉い人たちにも『小鹿はいい試合をするんだ』って紹介してくれたりした。自分の事務所のスタッフにも話をしてくれて、みんな良くしてくれたんだよ」
その後も長く接することになったテリーさんについて「オイラにとっては親友であり、ライバルであり、仲間であり…。その全てだったよ。だからこそ、まだ信じられない。できることなら線香の一本でもあげさせてもらいたいが、アメリカじゃあなんともならんしなあ…」と天を仰いだ。その功績は天国にいっても永遠だ。合掌。












