「不屈のテキサス魂」には、数々の伝説がある。プロレス界のレジェンドで、WWE殿堂者の〝テキサス・ブロンコ(荒馬)〟ことテリー・ファンクさんが79歳で死去した。1970~80年代の日本マット界でケタ違いの人気者となり、人気漫画「キン肉マン」に登場する「テリーマン」のモデルにまでなった。ハードコアファイトで活躍したリング上と同様に、リング外でも破天荒。本紙OBでプロレス評論家の門馬忠雄氏が、〝荒馬伝説〟を追悼公開する。
テリーさんは、兄ドリー・ファンク・ジュニアとの「ザ・ファンクス」で人気を集めた。1977年12月15日に全日本プロレス蔵前国技館大会で行われた、「世界オープンタッグ選手権」最終戦でのアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク戦はあまりにも有名だ。宿敵ブッチャーのフォーク攻撃で、右腕から大流血。国技館内ではその惨劇に失神する女性ファンがいたとされるほどだったが、テリーさんは持ち前のガッツで耐えしのぎ、ドリーと決死の反撃に出た。ついには根負けしたシークがジョー樋口レフェリーに暴行を働き、ファンクスが反則勝ちで優勝。〝不屈のテキサス魂〟は日本中のプロレスファンを感動させた。
門馬氏は「兄貴は静かだったけど、弟はきょろきょろして落ち着かない男。テキサスのやんちゃボウズだったけど、運動神経が素晴らしかった。体形的にもバランスのとれたいい選手だった」と振り返り、全日本関係者から聞いた〝笑撃〟の逸話を明かす。
「ブッチャーからフォークを刺された試合がテリーブームの出発点。翌日に米国に戻ったが、テリーは右腕を三角巾でつっていた。でも、飛行機の中でビールか酒を飲んだらしい。そうしたら、ずっと、うなってたって。隣で兄貴はどんな顔をしてたのか…(笑い)」
伝説の〝大巨人〟を相手にしても、やんちゃぶりは変わらない。「この兄弟はアンドレ・ザ・ジャイアントにたかってたんだよ。世界チャンピオンでありながら、アンドレに全部払わせていたらしい」。テリーさんは75年に、当時の世界最高峰だったNWA世界ヘビー級王座を奪取。プロレス界の頂点に立ちながら、気前のいい大巨人アンドレと一緒に食事にいけば、必ず全額を支払わせていたという。
数々の伝説を生んだザ・ファンクスの仲はどうだったのか。「仲は良かったよ。相手のことを責めない。怒るとニターッと笑っていたね。でもあの兄弟はずぼらだったけどね。地元テキサス州のアマリロの飛行場では、出発時間を遅らす達人だったらしい。のっそり来てね」。リング上で見せた兄弟愛は、リング外でも同じだった。
一方で、〝テキサスの荒馬〟には別の顔もあった。プロレス黄金時代の80年代、日本マット界では故ジャイアント馬場さん率いる全日本と、故アントニオ猪木さんの新日本プロレスがシ烈な興行戦争を展開し、トップスターの引き抜き合戦にまで発展した。81年にブッチャーを引き抜かれた全日本は、新日本からハンセンを引き抜くが「移籍の手引きをやったのはテリー。裏舞台の闇の親分的なところもあった。馬場から頼まれてやったんだろうけど。ハンセンは教え子だから、言うこと聞くしね」。
同年12月12日、ハンセンの情報を入手した門馬氏が全日本・横須賀大会を訪れると、ハンセンが裏口から入ってきた。翌日の蔵前国技館大会、ハンセンはファンクスと戦ったブルーザー・ブロディ、ジミー・スヌーカ組のセコンドとしてサプライズ登場。試合中の師匠テリーさんに、ラリアートをぶっ放してKOした。結果的に弟子に裏切られた形となったが、門馬氏は「(引き抜きの)裏工作をしたのはテリー・ファンク。外国人の移籍に関して大きな役割を果たしていた」。
テキサスの荒馬はリング内外で強烈なインパクトを残し、天国に旅立った。












