【松本薫の野獣道(3)】柔道の練習は本当に厳しくて嫌でした…。5歳だった1993年から岩井道場へ通い始めたのですが、お母さんに何度も「辞めたい」と言いました。でも「辞めるんだったら、自分で先生に言いに行きなさい」「責任はちゃんと自分で取りなさい」と言われました。子供だったので、先生が怖すぎて「辞めます」と言う勇気がなく、結局、続けたのは覚えています。

 正直に言うと「強くなりたい」と、本当に思ったのは大人になってからで、それまでは柔道を好きでやっていなかったです(笑い)。とにかく厳しかったので、試合で勝ちたくなかったんですよ。勝ち進むとみんなに注目されるので、そういう状況をつくりたくなかった(笑い)。だから小学生のころとかはわざと2、3回戦で負けていましたね。普通は強くなるために頑張ったりすると思うのですが、私の場合はそう思っていなかったので「怒られないためにやる」というモチベーションでした。

 だからある意味、客観的に物事を見られるようになりました。先生に怒られないために、道場を回さなきゃいけないんですよ。できない子が一人でもいて、先生の目につけば、怒られるんですよね。怒られ役が私だったので(笑い)。だから、この子をこのポジションに置けば、できない子が目立たない、あの子たちはあそこに置いて「先生がこの動きをしたら声を出して」とかも全部決めていましたね。とにかく強くなるというよりも、怒られないための“道場づくり”をするという感じでした。5歳で道場に入ってから徐々に覚えていって、中学3年で卒業するまでそれ一本でやってきました。

 もちろんしんどいときもあって、小学校3、4年のころだったと思いますが、だんだん夜に寝られなくなったことがありました。「明日起きれば、また道場か」みたいな。でも「このままじゃ自分が壊れる」と思ったので「何をどうしたらいいんだろう」と考えた結果「自分の中で何か一つ楽しみを見つけよう」という結論になりました。

 練習は365日あったので、小学校の友達と放課後に遊んだことはありませんでしたが、当時の楽しみは昼休みに友達とドッジボールやフルーツバスケットをすることでした。そういうふうなちょっとした楽しみを見つけるようにして「明日はあの子と縄跳びをする。それを楽しみに今日、頑張ろう」みたいな感じで取り組んでいました。

 ちなみにドッジボールは強かったですよ。強い者同士で残っても、最後にきっちり仕留めていました。でも、女の子には優しく「背中向けて」と言って、軽く当てていました(笑い)。