元WWEヘビー級王者でWWE殿堂者の〝鋼鉄怪人〟ことアイアン・シーク(本名コシロ・バジリ)さんが7日に死去した。81歳だった。シークさんのSNSで発表された。これを受けてWWEも公式ツイッターで哀悼の意を表した。死因については明らかにされていない。
イラン・テヘラン出身でレスリング選手として活躍した後、1970年に米国に亡命。72年にバーン・ガニアの指導を受けてプロレスデビューした。70年代後半から「アイアン・シーク」のリングネームを使用。必殺技のキャメルクラッチ(ラクダ固め)と先が曲がった独特のレスリングシューズを代名詞に、悪党レスラーとして全米各地で暴れまわった。新日本プロレス、全日本プロレスにも参戦し、79年12月にはニューヨークの〝聖地〟マジソンスクエア・ガーデン(MS・G)で、アントニオ猪木のNWFヘビー級王座に挑戦した。
83年12月にはボブ・バックランドを破り、WWF(WWE)ヘビー級王座を奪取。ベルトは約1か月で〝超人〟ハルク・ホーガンに奪われるが、その後もサージェント・スローターと激しい抗争を展開して、トップヒールとしての地位を確立した。92年に引退したが、WWEのリングにたびたび登場。2005年にはライバルだったホーガンらとともにWWE殿堂入りした。
一方、亡くなる直前までSNS上に過激な言葉で投稿し、しばしば話題になった。WWE公式サイトは「ポップカルチャーのアイコンとして存在し続けた」と記した。
シークさんとともに、ガニアのトレーニングキャンプで指導を受けてプロレスキャリアをスタートさせた〝狂乱の貴公子〟リック・フレアーは、自身のツイッターを更新。「私たちが一緒にレスリングを始めたのは1972年。遠い昔のことで、私たちは何年にもわたって何度もすれ違ったが、あなたはいつもとても楽しかった。安らかに眠れ、友よ」などと〝同期〟の死をいたんだ。
「ザ・ロック」こと米人気俳優ドウェイン・ジョンソンも、自身のインスタグラムに動画を投稿して追悼。幼少期からシークさんを「シーキーおじさん」と呼んで家族ぐるみの付き合いがあったといい、新人レスラーのころにシークさんから受けたアドバイスを披露した。「ロッカールームに来たら座って、口を閉じて、何も言わずに見て学ぶんだ。そうすれば、誰がいい人で、誰がジャブローニ(負け犬野郎)なのかがわかるようになる」。ロック様は「アイアン・シーク、思い出をありがとう」と感謝の言葉をささげた。












